表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 近い将来(最新号 令和5年9月)
暑い夏は、テレビを見て過ごしました。去年までは、夏でもよく出かけていましたが、今年の暑さに寄る年波、近所の郵便ポストに行くのも億劫でした。よく見たのは、昔の映画です。昔といっても30年ぐらい前の映画です。
驚いたのは、出てくる大道具小道具の今との違いです。まずテレビは箱型の大きな奴が、デンと部屋に座っています。携帯電話もまだなく、公衆電話がしょっちゅう出てきます。コンピューターがあるのは、たいてい事務所です。
それが、たかだか30年で、すっかり様子が違います。先日高校生の孫が訪ねてきて、挨拶もそこそこに、「お祖父ちゃん、Wi-Fiのパスワード教えて」 学校から貸与されたタブレットを抱えていました。ネットで注文した宅配ピザを食べるとき以外は、彼はほとんど私と口を利かず、帰るまでタブレットで遊んでいました。勉強していたのでしょうか。
変化の速さについていくのが大変です。これからの30年で、どう変わるか考えてみましたが、貧しい想像しかできませんでした。
まず確実にやってくるのは、自動自動車でしょう。スマホで車を呼ぶと、ガレージから無人の車が玄関前までやってきます。乗り込んで行き先を告げると、あとは何もしなくても目的地まで行ってくれます。しかし、よく考えると、自動運転は、自動運転に適した道しか走れないようにも思えます。私の家の前は、車がすれ違うのがやっとの道に電信柱が立っています。老人子供の通行も頻繁です。安全に通行するには相当減速しなければならないでしょう。人間なら、経験で、何とか走っていますが、機械がそういう判断ができる能力が得られるでしょうか。安全を考えるなら、人と車の道を完全に分離することが必要でしょう。自動運転のために道の大改造は可能でしょうか。
映画を見て感じるのは、日本の家の狭さです。プロジェクトといわれるアメリカの福祉住宅でも、日本の中産階級の家より広いように見えます。道の大改造と一緒に住宅の改善ができるでしょうか。これは技術の進歩でなく、政治の進歩にかかっています。
テレビやスマホの画面はもっと薄くやわらかになるかもしれません。スマホを使い終わったら、くるくると丸めて、ペンをさすように、胸のポケットに入れることができるようになりそうです。
映画では始まっていますが、これからは、好きな番組を好きな時間にCM抜きで、有料で見られるようになるかもしれません。わたしはNHKのBSプレミアムで映画を録画して、好きな時間に見ています。快適です。ただ、決して見ないような番組もまとめて受信料を払わねばならないのは不愉快です。
一番気になるのは、本です。おそらく辞典類は画面で見るほうが、使い勝手がよさそうです。小説や論説はどうでしょう。孫はタブレットで何か読んでいたようですが、紙の本で、ページを進めたり戻ったりしながら読んでいく楽しみは無いでしょう。
技術の進歩は終わりに近づいているのかもしれません。残りは月旅行ぐらいかもしれません。庶民には関係なさそうです。
石川恒彦