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縁起
照栄院は朗慶山と号し日蓮宗に属す池上三院家の一つです。昔は「向林庵」あるいは「南谷檀林立善講寺」とも呼ばれていました。
日蓮大聖人の高弟日朗聖人は大聖人の滅後、鎌倉において布教に勤めていましたが、文保2年(1318)、74歳のとき、退隠を決意 池上南窪の地に草庵を結びました。照栄院の濫觴です。日朗聖人は76歳で没し、その後、草庵は荒廃に帰しましたが、嘉吉年間に日鏡聖人が出て再興を果たしました。
大田区立池上会館の庭に日朗菩薩草庵之地の碑、その左手に朗師坂、朗師坂の上には御墓、そして照栄院本堂に元和7年(1621)造立の日朗菩薩座像があります。
元禄元年(1688)、池上本門寺第22世日玄聖人は、照栄院の地に南谷檀林を開創しました。檀林とは僧侶の学校の名称です。現在の池上小学校、池上会館から照栄院の地に至る一帯に講堂、方丈、玄頭寮、板頭寮、首座寮、所化寮、玄文両談合場、食堂、総門、妙見堂などを備えていました。
南谷檀林跡の碑
明治維新で廃檀となり、建物も取り壊されましたが、天保7年(1836)再建の板頭寮(校務担当者の居室)は照栄院書院として現在も使われています。檀林関係の文書や書籍もここに保存されています。
妙見堂も妙見坂の上に現存します。奉安する妙見大士像は、寛文4年(1664)に加藤清正の娘瑶林院が夫の紀州公徳川頼宣の現世安穏後生善処を念じて本門寺に献じたもので、檀林創立のとき、日玄聖人が、檀林守護のため移祠しました。
現在のお堂は慶応二年(1866)の再建と考えられています。毎年冬至の日に催される星祭りには沢山のお参りがあります。
日蓮大聖人の題目始唱750年を記念して、平成14年に落慶を見たのが永代供養廟久遠林(くおんりん)です。久遠林(くおんりん)はその広さ美しさといった施設面だけではなく、個人の信仰の強調、二字戒名の提唱、塔婆の廃止といった実践面に特徴があります。
当山の名物に「たぬき汁」があります。これは精進のけんちん汁で正月2日の新年祈願会には檀信徒に、正月20日の朗師会には山内僧侶に供されています。
日朗菩薩草庵之地碑
朗師坂
朗師墓
境内のご案内