表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 光(平成30年7月)
高校の同窓会に出ました。卒業して60年、昔を思い出しながら、飲んで語りました。皆の経験は千差万別です。ヒマラヤに登ったり、スーパーコンピューターを設計したり、芸能界に馬鹿に詳しくて、本を出している人もいました。
写真家もいました。新聞社で活躍した後、独立、世界中を回り夜景の撮影で、一家をなしているようなのです。興味を持ちました。
私も随分旅行して、夜の景色も沢山撮りました。しかし、うまく取れた写真は一枚もありません。カメラのせいか腕のせいか、家に帰って印刷すると、記憶の景色と全然違うので、いつも失望しています。
彼のホームページを開いてみました。吃驚しました。ライトアップされた、橋、寺院、塔、城などが、見事な構図、美しい色彩で写っています。さすがにこれで飯食っているのだなと納得できました。
ライトアップは、いつごろから始まったのでしょう。貧乏だった戦争直後の日本にはなかったように記憶します。欧米では戦争前からあったのでしょうか。もっとも戦争中は、ナチスの空爆を恐れて、あったとしても消していたでしょう。
日本の寺社では、大きな行事の時に、提灯でお堂の内外を飾るときがあります。これは、提灯が主役で、ライトアップとは言えないでしょう。普通、ライトアップの光源は見えません。最近はLED電球で壁面を照らすものがありますが。
人類は、火を手に入れたとき、文明を進化させました。火は寒い夜を暖めてくれ、動物や野菜を料理して、食べられるものの種類を増やしました。火は熱だけではありません。火は、光ももたらしました。人間は夜活躍できるようになり、洞窟の中の生活は快適になりました。
木を燃やして得ていた光は、やがて動植物の油を燃やすようになり、便利になりました。それでも、光は神秘的でした。どうして固体や液体に熱を加えると光が出てくるのでしょう。世界のどんな宗教施設でも、光を供養することは、重く見られました。
動植物の油から作る光は貴重品でした。町は暗く、早寝早起きが美徳でした。電球が発明され、石炭や石油あるいは水の力で、電気を安価に大量に作れるようになると、光は一挙に地球を覆いました。遠い星に住む生物が天体の観察を続けているとするならば、ここ百年で、急に明るくなった地球にびっくりしていることでしょう。
光は、私たちの生活を便利にしました。驚く働きは、私たちが電話やパソコンで情報を交換するとき、光が仲立ちをしていることです。光の利用の中で、ライトアップは実用というより芸術の世界に属すると思います。下手なライトアップは、建物や景色を台無しにしてしまいます。
彼の写真の中に、賑わう明るいカフェ、旧式な街灯に照らされた広場といった場面もあります。そこには人間が写っています。ライトアップされた無機質な建物は、私を緊張させます。そこに人間がいるとホッとします。月のない夜の明るい景色は、人間が自らつくった光の恩恵に浴している世界と、文明を誇らしく思わせます。
石川恒彦