表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 処罰感情(令和6年12月)
犯罪被害者の処罰感情の激しさに驚かされるときがあります。特に肉親を失った遺族が発する言葉を知るとき、本当だろうか、報道陣に言わされているのではないかと、疑いさえします。
報道を見る限り、犯罪被害者の遺族は、犯人が死刑になる以外は望んでいないようです。死刑の判決が出ても、それで殺された肉親が戻ってくるわけではないと、さらに憎悪を募らせます。死刑以外の判決が出れば、それでは亡くなった肉親が浮かばれないと嘆きます。
難しいことですが、犯人側の事情も考えることはできないでしょうか。犯人の生い立ち、心身の障害、現在の境遇。なにか自分では抑圧できない感情を持っていたのかもしれません。
近頃話題のカスタマーハラッスメントを考えてみましょう。怒るお客にまったく理由がないわけではありません。店員のちょっとした言動が気に障り、怒りを爆発させます。背景には、普段からの抑圧された感情があります。
店員を虐める人間には、老人が多いと聞きます。老人の一人として、その気持ちがよくわかります。社会の変化が速すぎて、普通の老人はついていけないのです。また、衰えた肉体は、昔、出来たことが出来なくなっています。棚から清涼飲料のビンを取ろうとすると、隣のビンに当ててしまいます。レジで83円払おうと財布の中で一円玉を探していると、店員が財布を覗いて、『その10円ください』といって、7円のお釣りをさっとお皿に置きます。
大した用事もないのに、老人は急いでいます。レジに並ぶ列が長いと、セルフレジに行きます。何度か経験しているので、自信があります。失敗しないようにと手順を確認します。するとどこともなく店員が現れて、挨拶抜きで、使い方を教えてくれます。修行のできていない私はムッとしますが、ぐっとこらえて、教えの通りにQRコードをかざします。親切な店員は、私の袋詰めを直してくれます。ここで、私はにっこり笑って、「ありがとう」というべきなのでしょうが、ただしわがれ声で「ありがとう」というのがやっとです。店員は不愉快だったでしょうが、老人の態度に理由がなかったわけではありません。
老人に限らず、誰でも怒る因子を持っています。それが激しくなると犯罪に走ることになります。犯罪に走らないのは、人の持つ常識です。
赤ん坊が泣き止まないと、オムツか、ミルクか、ダッコかと、色々試します。それでも泣き止まないとつい声を荒げます。ひどい人は、ぶったりします。もし泣き止んでも、残るのは悔恨の情です。
悪いことをしたものを罰したいというのは自然の感情です。しかし、罰した時に得るのは、復讐心の満足だけではないでしょうか。死刑が執行されたとき、遺族が得るのは何でしょう。復讐はできました。しかし、以来、心安らかに過ごせるでしょうか。よくよく考えれば、殺人犯を罰するに、殺人を犯したのです。
人は罪を罰するのを、個人から国家に委ねました。個人が監禁したり殺すことを避けるためです。量刑は国に任せ、犯人を許す気持ちを持つことが出来れば、より安穏な気持ちを持てるようになるのではないでしょうか。
石川恒彦