表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 返上(令和6年10月)
運転免許証はかなり前に返上しました。悲しいことに、この度、孫の面倒を見るのも返上しなくてはならなくなりました。
敬老の日に孫が遊びに来てくれました。一番下の3歳の子が外に行きたいと、自分で靴を履き始めました。面倒を見てやると、私も靴を履いて、一緒に路地に出ました。すると突然、孫は駆けだしました。公道に向かってです。危ないと、私も駆けようとしたら足が出ません。考えてみると、ここ数年駆ける事などありませんでした。私のことを危ないと思っていたのでしょう、母親が後ろから見ていました。全速力で駆けだしましたが、孫は公道に出てしまいました。幸い車が通っていなかったので、母親は無事に子供を抱き上げました。
幸運でした。もし車が来ていたら、私は孫が轢かれるのを見ることになってしまったでしょう。ゾ~としました。以来思い出すたびに冷や汗が出ます。孫の面倒は返上です。
年を取っていろんなことが出来なくなりました。はじめは目だったでしょうか。老眼鏡をかけなければ小さい字が読めなくなりました。次は耳でした。テレビを見ても、アナウンサーがニュースを読んでいるのはよくわかるのですが、お笑い番組で、役者が何か冗談を言ってもわからなくなりました。補聴器を買ったり、手元スピーカーを買っても効果がありません。耳医者にいって相談したら、検査の後、それは、耳ではなく耳から信号が行って音を聞き分ける脳の細胞が駄目になっているから、なにをやってもだめだといわれました。日常会話でも、よくわからない時が多々あるので、何度も聞きなおしますから会話が弾みません。寂しい限りです。
コンピューターのキーボードを打つのはもともと得意ではありませんでした。私が入力に苦労しているのを見て、娘が、どれどれと、キーボードも見ずに、入力してくれたものです。それが一段と下手になりました。左手の小指が効かなくなってきたのです。ローマ字入力では、「あ」の音は「A」を押します。「あかさたなはまやらわ」です。小指の力がないので、注意していないと、「あ」が抜けて「-kstnhmyrw」になってしまうのです。ここまでの短い文章でも何度も直さなければなりませんでした。
生命あるものは、老い死にます。植物はともかく、動物は老いを自覚するのでしょうか。サル山のボスが交代するときがあります。その時、引退を強いられたサルは、「ああ、おれも老いたな」と考えるのでしょうか。「死も近いな」と思うのでしょうか。それとも、現実を受け入れて、寄り付かなくなったメスや少なくなったエサを不思議そうに眺めるばかりなのでしょうか。
人はたしかに老いを自覚します。肉体だけではありません。脳も劣化が進みます。その第一は記憶でしょう。私など、昼のご飯を食べながら予定表を確認して、今日は一時に友人が来ると憶えたつもりでも、友人がドアフォンを鳴らすまで忘れていたりします。
人にとって、おそらくつらいのは、死より老いでしょう。日々役に立たなくなっていくのを自覚するのはいやなものです。何か役に立ちたいと計画を立てても、実現するのはごくわずかです。やがてくる生命を返上する日を待つばかりになってしまいます。。
石川恒彦