表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 慰安婦像(平成29年6月)
日本政府は、日韓合意に基づく,いわゆる慰安婦像の撤去を盛んに求めています。
これは、私には無理筋に見えます。民間人の言論や行動を、国際的約束だといって、制限することは、民主主義国においてはできないことです。日本政府も韓国政府も、できないことを承知の上で、その場しのぎの合意をしたのではないのでしょうか。
公道に許可なく銅像を建てることは、韓国においても違法でしょう。しかし、違法だといって、それを力で撤去したらどうなるでしょう。銅像の後ろには、韓国民の怨念が隠れています。
大騒動が目に見えています。韓国政府は日本政府に比べても強権的だといわれます。それでも、国民感情を抑えることは難しいでしょう。
1937年、スペイン内戦に干渉したドイツ空軍は、バスク地方の小都市ゲルニカを無差別爆撃しました。それに衝撃を受けたピカソは、ゲルニカという名の巨大な壁画を描きました。
爆撃で苦しむ人や動物の抽象画で、無差別爆撃の恐ろしさを世に訴えました。
丸木位理、俊夫妻の原爆の図は、アメリカによる広島長崎原爆投下の被爆被害のすさまじさを訴えています。ピカソの一枚の壁画と違って、丸木夫妻は、30年を超える年月を使って、沢山の場面を絵にしました。
ピカソも丸木夫妻も共産党に入党しました。これらの芸術作品が政治的意図を持っていたことには疑いを入れません。しかし、ドイツでもアメリカでもこれらの絵が受け入れられています。丸木夫妻の絵は、アメリカで何回か巡回展を開いたようですが、特別の妨害を受けたという報道を知りません。
表現の自由にも限度があります。何でも言っていいというわけではありません。他人を傷つける表現は許されません。慰安婦像を中心に反日的言動をしている人たちは、暴力的ではありません。
日本大使館の前に設置するなど、嫌がらせに過ぎないと取る人もいるようです。単に最も効果的な場所を選んだのではないでしょうか。
在日韓国人の権利を制限しようと運動している在特会という団体があります。ずいぶん無理な主張で、大部分の日本人はそれに賛成していません。
しかし主張に基づく運動そのものをやめさせるわけにはいきません。政府にできるのは、彼らの運動が暴力的になったときに、それを止めることぐらいです。韓国政府も同様な立場でしょう。
芸術的完成度については議論の余地がありますが、慰安婦像は、優れて韓国人の怨念の表現です。慰安婦問題だけでなく、日本の植民地であった時代の、もろもろの恨みが象徴されています。
それだけに、日本人の心に強く突き刺します。反発するのは簡単ですが、それでは何も生みだしません。言語と考えて、それを理解することが大切なのではないでしょうか。
韓国に同情的な左翼的言論人の発言の結果、慰安婦問題は大きくなったといわれます。両国の努力の結果、問題は慰安婦像に集約されてきました。彼女を受け入れれば、解決はせずとも、友好関係を回復できそうです。
ところが今度は、右翼的な人々が、慰安婦像受け入れに反発して、問題をこじらせています。
皮肉なものです。
日本人の度量が試されています。
石川恒彦