表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 心の悪魔(平成28年8月)
相模原市の障害者施設で19人が殺され、26人がケガをしました。ほとんどの人は、重度の障害を持ち、さらに、深夜で熟睡していて、全く抵抗のできない状態だっただろうといわれています。
平成に入って、最大の大量殺人事件だそうです。
2010年の春日部市の特別養護老人施設での、3人虐待死や、昨年の川崎の老人ホームでの3人がベランダから放り出されて殺された事件を思い出します。いずれも施設の職員または元職員により行われました。一度は世話を必要とする人を助けようと考えたであろう職員が、どうして殺人者に変わっていったのでしょう。際立つのは、まったく抵抗のできない人を殺したということです。
人は一から十まで仏であったり、一から十まで悪魔であったりしません。善行をなしているときも、一分の悪の気持ちがあり、悪行をなしているときも、一分の善なる気持ちがあります。わたしは正しいことをしているのに一分の疑いもないという人は、正直ではありません。
人の心は移ろいやすく、今日の仏が明日の悪魔になります。皆、より良く生きようとしても、外界の力が、それをゆがめます。
相模原の事件では、犯人は急性の精神異常に大麻の吸引が重なり、何かにとりつかれたように重度障害者の殺害を考え実行したようです。犯人の行動はあまりに異常です。
とは言え、社会の風潮から、全く離れたものとは言えません。
日本は豊かです。しかし、それに幸せを感じている人は少ないように思われます。
長く続く経済停滞を打破しようという努力は、かえって貧富の差を広げる結果となっています。将来に希望を持てない人が増えているといいます。皆どこか不寛容になっています。住宅街に保育園を建てようとすれば、反対の声が上がります。電車に乳母車を押して入ろうとすれば、不快な目でにらまれます。安い時給で働く店員を、生活保護で暮らす老人がどなりつけています。
だれでも人を助けたいと思っています。保育園も、老人施設も大切だと思っています。ところが、その施設が隣にできるのは反対です。障害者を自分が助けねばというときは躊躇します。
心の深いところで、弱い者への共感を欠きます。
介護の現場は過酷だといわれます。入所者の性格は千差万別。一人一人に寄り添いたいと思っても、慢性的な人手不足。給与は低く、どうしても画一的な世話になってしまいます。自分も満足できないし、ましてや入所者も満足しません。相性のいい相手も、どうしてもうまくいかない相手もいます。嫌い嫌われ、憎み憎まれという関係もまれではないでしょう。
この豊かな社会で、弱者とどうかかわっていくべきか、私たちはまだ知りません。すべての努力は試行錯誤中です。その時、福祉や介護の最前線で働く人に矛盾が押し寄せます。彼らが仕事に疑問を持ったとしても非難できません。
この事件は、わたくしたち一人ひとりの心の中にある、ほんの小さな弱者排除の気持ちが重なり、世の中が弱者排除に傾くとき、介護に挫折した異常に感じやすい魂が弱者の文字通りの排除に向かったのではないでしょうか。
石川恒彦