表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 教える誇り(平成26年5月)
新入生の担任が決まっていた教諭が自分の子供の入学式に出るため、許可を取って、勤務先の学校の入学式を欠席したそうです。それに気付いた県会議員が批判的な記事をWEBに書き込んだところ大騒ぎになりました。県会議員の立場に理解を示した、教育評論家の尾木直樹さんもたいへんなめにあったそうです。
私は四人の子持ちですが、子供の入学式にほとんど行ったことがありません。一度の例外は、娘の大学入学式です。知らない大学でしたので、どんな学校か見てみたくなり、ちょうど時間もありましたので、出掛けました。憶えているのは、サクラがきれいだったこと、校歌斉唱の時、在校生も新入生も声を出さず。吹奏楽団の音だけが響き、異様に感じたことぐらいです。壇上の教授たちが歌ったかどうかは記憶にありません。
娘も迷惑だったようで、式が終わるとどこかに消えてしまいました。
入学式は、確かに大切な行事ですが、それは、学校と新入生にとってです。幼稚園や小学校の入学式なら、親が付いていくことも必要です。その役割は、主に見守りです。道を間違えないか、話をちゃんと聞けるか、自分で便所に行けるか、気をつけることは沢山あります。中学以上になれば、親は行けたら行くでいいのではないでしょうか。子供は、親が思っている以上に自分を確立しています。¥
もし、親が仕事で出席できなければ、「うちの親は大切な仕事をしている」あるいは、「私に教育を受けさせるために一生懸命働いている」等々、考えて納得するでしょう。むしろ誇りに思うかもしれません。親が考えるほど彼らは、軟弱ではないと思います。
自分の学校を休んで、子供の学校の入学式に行く先生は、その姿で、自分の仕事は大したものではないと、自分の子供に語っているのではないでしょうか。それは、先生一般への子供の持つ尊敬の念を損なわせるのではないでしょうか。
今、学校教育で一番大切なのは、先生への尊敬を取り戻すことだと思います。親が先生を馬鹿にするから子供も馬鹿にするようになります。その結果、先生が自信を持てなくなり、ひいては、自分の職業に誇りが無くなり、学校教育のもろもろの問題が生じています。
私の孫は、今年小学校に入学しました。最初の父母会で娘はびっくりしました。あるお母さんが寝坊をして、弁当を作れなくなり、学校に電話して、今日は給食にしますと伝えました。学校はそれに対応して、彼女の子供に給食を出しました。ところが給食には、その子の嫌いなカボチャが入っていました。彼女は激怒しました。父母会で、なぜ彼女が給食ではなく弁当を選んだか、学校は考えなかったのか、好き嫌いがあるから弁当を選んだのに、たまたま給食を頼んだら、子供の嫌いなものを出したと、強行に抗議したそうです。
驚いた事に、彼女に味方する母親がかなりいたということです。
こういう父兄と日常触れ合っている先生が大変な事はよくわかります。自分の職業に疑問を感じることもあるでしょう。しかし、教職は尊敬すべき大切な仕事です。多くの人は私と同じ意見だと思います。もっと自分の仕事に誇りを持って頂きたいのです。
もちろん、教師といえども、自分の都合で有給休暇を取る権利を持っています。それをいつどのように行使しようと批難する事は出来ません。ただ、自分の学校の入学式より、子供の学校の入学式を優先した先生は、自分の仕事に誇りを持っていないなと思うだけです。
同じような状況に立たされた、多くの先生がいたと思います。彼らの多くは、恐らく勤務先の学校を選びました。彼らが、周りの目ではなく、自分の職業への誇りから、自分の学校の入学式を選んだと信じたいのです。
石川恒彦