表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 偏見(令和5年8月)
スコットランドから娘が帰ってきました。お土産にイギリスの袋菓子を沢山買ってきました。塩と酢で味付けしたポテトチップスです。それを会う人ごとに一袋ずつ渡していました。ずいぶんしけたお土産と思いましたが、私も一つ食べてみました。袋を開けたとたんに酢のにおいが鼻を突きました。口に入れると強烈な酢の味がしました。
「食べられたものじゃない。イギリス人は評判どおりに、やはりまずいものを食っているな」と、思いました。
ひと月ほどして、孫がやってきました。塩酢チップスの袋を見ると、「お祖父ちゃん、これ食べていい?」「いいよ」。孫はむしゃむしゃ美味そうに食べ始めました。「食べたことあるの?」「うん、この間、おばさんにもらったよ」
反省しました。「年を取って、味がわからなくなり、新しいものはどうも駄目だ。それに、イギリス食品というと、端から馬鹿にする俺は情けない」
それにしても、イギリスの食べ物は評判よくありません。
数年前、あるイギリスの大学都市を訪れたおり、夕食時になりました。中華料理でも食べたいなと道を歩いていると、向こうから、中国人留学生らしき、若い女性の一団がやってきました。
「中華料理が食べたいのですが、どこかいい店を知りませんか?」
彼女たちは、顔を見合わせて笑っています。やがてひとりが、
「イギリス中探しても、美味しい店なんかないわ」
その晩はスペインの小皿料理を楽しみました。
イギリス人も、自分の国の料理の評判は知っていて、こう強がりを言います。
「我々は、世界のどこに行っても、食に贅沢を言わない。だから、世界を征服できたんだ」
その征服地の一つインドからイギリスにやってきたのがカレーです。インド人は牛肉を食べませんから、イギリスに入ってからビーフカレーができたのだと思います。それが明治時代、日本に入りました。強烈なにおいと、日本人もあまり食べなかった牛肉の入ったカレーに、我々の祖先はびっくりしたに違いありません。偏見から拒否感が強かったでしょうが、やがて日本の国民食の一つになりました。日本のカレーは、インドともイギリスとも違った味がします。
正直、イギリス料理はそんなに不味くありません。ローストビーフやフィッシュアンドチップスはイギリス発祥です。パンやチーズは種類が豊富で楽しめます。運がいいと本当においしい紅茶を飲むことができます。
イギリスの食べ物を馬鹿にするのは、東洋人だけではありません。ヨーロッパ人が馬鹿にするのを見て、東洋人も馬鹿にするようになったのが本当でしょう。みんな、経済的政治的に成功したイギリスを嫉妬の眼で見たからだと思います。食べ物ぐらいしか、イギリスを下に見ることができるものがなかったのかも知れません。
何事も、偏見なく受け入れるのは難しいことです。
石川恒彦