表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > ボランティア(平成19年8月)
また新潟で大地震が起きました。地震に限らず、どんな天災人災でも被害の光景を見るのもつらいものです。そして、避難所で不便な生活を送っている人々の映像を見ると、もっとつらい気持ちになります。
なぜ、みんな大きな体育館の床に寝なければならないのでしょう、それも衆人の目のあるところで。空間を仕切り、簡易ベッドを使えるようにしたら、どんなに、みじめさが和らぐことでしょう。布団や毛布は自治体に備蓄されているようです。あとちょっと予算と空間を都合して、仕切りのカーテンと折り畳み式のベッドを備えつけておけないものかと思います。
もう一つ気になるのは、親せきや知人を頼って避難する人が少ないことです。考えてみると、現代のわれわれはずいぶん薄い人間関係の中に暮らしています。親せきの付き合いをやめている人はたくさんいますし、隣の家の人と挨拶もしないという人がたくさんいます。思い出すと、私の家には客用布団が何組もあって、春になると、母はその手入れに大忙しでした。地方からのお客さんは勿論、そんなに遠くに住むわけではない、父や私の友人たちもしょっちゅう泊って行きました。それがいつの間にか、泊まる人は少なくなり、布団も処分されてしまいました。おそらく、被災者にも親せき友人の家に避難するには躊躇があるのでしょう。
そんなことを考えながら、テレビを見ていると、ハッとする発言がありました。避難所で生活している男性の発言でした。彼が言うには、彼が避難所に住んでいる理由の一つは、「ここにいないと、支援を受けたり、情報をもらったりするのが難しくなる」からだそうです。行政の側に被災者を一元的に管理しようという発想があるのでしょうか。
さて、新潟に見舞いに行っていた知人の話を聞く機会がありました。被害の様子も聞きましたが、私が感銘を受けたのは、ある被災者のボランティアに対する感謝の言葉です。
「災害を受けた当初は、茫然自失、何もする気が起きないし、何をしていいのかもわからなかった。それが、ボランティアの人が駆けつけてくれ、瓦礫を片付け、荷物を運びだしてくれました。それを見ていると、急に私も力が湧いてきて、自分でもやろうという気力がわいてきました。」
かってあった、親せきや顔見知りの間の助け合いが希薄になり、ボランティアのような、見ず知らずの人の助けが重要になってきた世相には納得できないものがあります。それでも人が人を助けると、その行為以上の力を発揮することに驚きました。
ひょっとすると先ほどの避難所に居続ける男性も、人恋しさのゆえに、そこを離れられないのかもしれません。
石川恒彦