表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 身読(最新号 令和8年11月)
書名を見ただけで、内容も確かめずに本を買ってしまう時があります。「仏伝身読(ぶつでんしんどく)」もそういう本の一冊です。
日蓮聖人の生涯は困難の連続でした。混乱した鎌倉時代を生きた聖人は、どうすればみんなが幸せに生きられるかと探求しました。長い修行の末、人々が法華経を信じることが大切だという確信に至りました。そこで法華経を広めるための活動を始めました。しかし、世に入れられず、意に反して鎌倉幕府から迫害を受けるようになりました。艱難辛苦の中で、聖人を勇気づけたのは、正しい教えを広めようとすれば、必ず迫害を受けるだろうという法華経の中に書かれた予言でした。自分は法華経を身を持って読んでいる、身読(色読)している、だから迫害を受ける。この確信こそが聖人の活動の力でした。
「仏伝身読」の身読は少し趣が違っていました。
お釈迦さまの伝記は詳しくは伝わっていません。私たちが知っているのは、お釈迦さまが亡くなって何年もたってから、断片的に伝わっていたお釈迦さまの事績を、物語にしたものです。だからと言って、それらを無視することは正しくありません。そこには物語作者たちのお釈迦さまへの讃仰、お釈迦さまの教えへの信仰が込められているからです。雑念を入れず、通り一遍に読むのではなく物語を深く自分のものにするのが大切で、「その物語の意味をわが身に引き寄せて身読したいものです」というのが著者の立場のようです。日蓮聖人の例に比べれば、これは身読というより深読というべきでしょう。
四門出游という物語があります。何不自由なく青年に達したお釈迦さまは、ある日、東の門から宮殿を出ました。すると老人を見かけました。別の日に南の門から外出すると病人を見かけました。また西の門から出ると死人を見かけました。初めて老病死があることを知ったお釈迦さまは衝撃を受けました。しかしてまた別の日に北の門を出ると、憂いのかけらもない出家者に会いました。彼を見て、お釈迦さまは出家を決意したと伝えます。
私にはこの物語を素直には読めません。お釈迦さまのお母さんは、お釈迦さまを生んで7日目に亡くなっています。死を知らなかったとは言えません。それにいくら父親の方針だといっても、成年に達するまで宮殿の外に出なかったとは考えられません。鬱病になってしまいます。医学の発展していなかった当時、病人や死人はごく身近なものだったでしょう。
近代の学者は、研究の末、次のような物語を作りました。
小さな古代共和国の、指導者の家に生まれたお釈迦さまは、何不自由なく成長しましたが、早くに失った母親を思えば憂いもありました。また自分は安穏に暮らしているのに、貧しく困難な生活をしている人々のことも気にかかりました。時代は大きな国が、小さな国を飲み込み帝国を作ろうとしていました。お釈迦さまの国もその波にのまれようとしていました。憂いは尽きません。そのころ武士階級の間では、人生に迷うと家を出て、托鉢修行者となるのはよくあることでした。お釈迦も子どもが生まれたのを機会に家を出て求道の旅を始められました
私にはこちらの話のほうがすっと身に入る気がしますが、皆さんはどうでしょう。
石川恒彦