表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 若者の旅(最新号 令和7年10月)
浅草の仲見世も京都の三年坂も人で一杯です。外国人観光客であふれています。ここ数年日本政府は外国人観光客の受け入れに努力してきましたが、過ぎたるは及ばざるがごとしで、色々弊害も出てきました。世界中旅行ブームで、有名な観光地は観光障害に悩んでいます。かといって、観光客がいなくなれば、旅館や土産物屋は立ちいかなくなります。
解決策として、格安観光客は締め出し、お金を使う個人観光客だけを受け入れるようにしようという議論があります。疑問です。
私は若いころ海外旅行をよくしました。バスでアメリカ合衆国を一周しましたし、インドでは鉄道でインド一周をしました。一人で安宿に泊まり安食堂で食事をとりました。そういうところには若い旅行者がたむろしていましたから、馬鹿話をしたり、お国自慢を聞いたり、酒を飲みながら楽しい時間を過ごしました。彼らから綺麗な景色、よい宿、うまい食堂などの旅行情報を聞くと、しばしば予定を変更しました。
当時はヒッピーの全盛時代で、彼らと一緒になるとマリファナパーティに誘われ困ったものです。これもマリファナをやらない旅行者から作法を習って、輪に加わりながら、マリファナを断る術を憶えました。
アリゾナでヒッチハイクをしたときは、映画で見るような超大型トラックが止ってくれ、梯子を使って運転席に入ると、十何段もある変速機でスピードを上げ、田舎道を走りました。気のよさそうな運転手は驚く私の顔を見てうれしそうでした。
ホワイトハウスのわきを通ったとき、行列ができていました。何の列かと聞くと、これから見学だといいます。君も入るかと言って行列に入れてくれました。ついていくとホワイトハウスの中でした。背の高い頑丈な制服男が案内してくれ、大統領の執務室ものぞきました。今でも疑問に思っていますが、あれは個人の資格で入れたのでしょうか、あるいは何かの団体に紛れ込んだのでしょうか。ベトナム戦争の最中でしたが、アメリカは安全だったのですね。どこも誰も開放的でした。
インドでの話も一つしましょう。南インドの城跡を歩いているうちに、サトウキビ畑に迷い込んでしまいました。方角を全く失ってしまいました。すると鎌を手にした、若い農婦に会いました。宿の名前を言って方角を聞きましたが、全然通じません。私は南インドの言葉を知らなかったのです。手を変え品を変え聞きましたが、駄目でした。目のぱっちりした美女でした。その彼女がにじり寄ってきました。汗のにおいが届く距離までやってきました。果たして、私に好意を持って近づいてきたのでしょうか、それとも。彼女は半月形の鎌を手に握っていました。臆病な私は、そろりとそこを去りました。
年を取ってから、団体旅行にも加わるようになりました。すると一行の人から、どんなところを旅行したかとよく聞かれました。私が自由の女神もゴールデンゲートブリッジも見たことがないというと、あきれられました。
若いころの貧乏旅は、私の視野を広げてくれたと思います。世界中がお金のない若者の旅を歓迎してくれることを願っています
石川恒彦