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隠居からの手紙

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指導

  運動選手が強くなるためには練習が大切です。
ところが、練習をしすぎると、故障が起こり、せっかくの未来をダメにしてしまいます。
指導者が絞りすぎるときもありますが、選手当人が憑かれたように練習をして、自分で自分をダメにしてしまうこともあります。かといって練習をまったくしなければ、強くはなれません。

  悟りを得たお釈迦さまにも悩みがあったように見えます。
悟りを得るとは、この世の悩みを克服することですから、悟りを得た仏に悩みがあるというのはおかしな言い方ですが、実際に心を痛めることは多々あったように見えます。
大雨や日照りで作物が育たず、ご自身も飢えを経験されましたし、路傍に飢えで倒れている人を見るのは、もっと悲しいことだったでしょう。最愛の弟子が不慮の死に会い、有力な後援者が戦争で亡くなりました。
何より心を悩ませたのは、弟子の指導でした。

  お釈迦様は、修行の要諦として、妻子を捨て、財産を捨て、一所に留まることなく、乞食(こつじき)によって生活することを勧めました。
しかし、それは金科玉条ではありませんでした。僧院を寄進されれば、そこに留まりましたし、新しい僧衣をもらえば、それを身につけました。食事に招待されれば、弟子を引き連れて、それを受けました。
大切なのは、住所や、着物、食事などにこだわらないことだったと思います。
僧院に留まっても、それは長くありませんでした。滞在の目的が達せられれば、また遊行の旅に出かけられました。新しい衣が継ぎはぎだらけになっても心にかけませんでした。食事が取れない日があっても泰然自若でした。
この厳しすぎもしない、かといって緩すぎもしない、中庸をいく指導は、弟子たちにとって解りにくいものだったようです。
幅のある指導指針に不満の弟子もいました。その代表が提婆達多(だいばだった)でした。
彼はもっと厳しい修行を望みました。

  あるとき彼は、お釈迦さまに、新しい規則として、五つの提案を行いました。

  1. 1,林野に住んで、町や村に留まってはならない。
  2. 2,戸口で食事を乞い、招待を受けてはならない。
  3. 3,必ず継ぎはぎだらけの衣を着ること。
  4. 4,戸外に住み、屋舎に眠ってはならない。
  5. 5,肉食はしない。

お釈迦様は答えました。
「この提案のように修行を進めたいものはそのようにしてよい。それを他人に押し付けてはならない」
提案が入れられないと感じた提婆達多はお釈迦様のもとを去りました。そして、彼に賛同する修行者と新しい集団を作りましたが、うまくいかなかったようです。

  人間一人ひとりが違う能力を持っています。目標は同じでも、努力の仕方はそれぞれ違うはずです。指導者たるものの資格は、指導されるものの個性を見抜く力だと思います。

なんでも他人と同じでなければという考えでは大成しないのでしょう。

石川恒彦

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