表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 腐る(最新号 令和7年7月)
50年以上も昔、私はヒンディ語を習いました。日本で2年、インドで2年、日常生活には困らないほどに上達しました。アハメダバードという町で、ジャイナ教の勉強をしたのですが、個人教授をヒンディ語で受けました。アハメダバードの日常語はグジャラート語ですが、ヒンディ語がインドの公用語ですので、たいていの人は流ちょうに話します。
そこのインド学研究所の所長、マルバニア先生には大変お世話になりました。先生からは直接教えを受けませんでしたが、先生の紹介で、碩学のベーチャルダース師とグジャラート大学教授バヤニー先生から主に学びました。
ベーチャルダース先生には、先生のご自宅に伺って、学びました。居間の真ん中に大きなブランコがあって、それに先生と二人座って、ブランコを揺らしながら、学びました。当時は冷房などなく、揺れるブランコで風を受けながら勉強したのです。
バヤニー先生の教授室には、さすがにブランコはなく、窓をいっぱい開けて教えていただきました。風が強いときは、紙類が飛びますので、文鎮が必需品でした。
勉強がたけなわとなったときに、のっぴきならない事情があって、日本に呼び戻されました。その時、ベーチャルダース先生は、「お前はよく勉強した。この知識を新鮮に保つよう、日本に帰っても心掛けなさい」と言って、送り出してくれました。
勿論、その気持ちでした。ところが雑事に追われて、だんだんと学問の世界から離れてしまいました。本は読みましたが、ヒンディ語の本とは縁がなくなりました。親切に教えて頂いた先生方には本当に申し訳のないことでした。
ところが、最近になって、インドで勉強していたころが無性に懐かしくなり、死ぬ前に、ヒンディ語で何か読みたくなりました。そこで思い出したのがマルバニア先生に勧められていた「観察と考察」という本です。
これは、マルバニア先生の先生、スクラール師の哲学的エッセイ集です。スクラール師は若いときに天然痘を患い、全盲となりました。それでも学問を続け、インドでも有数のインド哲学者となりました。お目にかかったのは一度だけですが、いかにも温厚な大学者の雰囲気がありました。
本棚を探すとすぐに見つかりましたので、読み始めました。ところが、昔とった杵柄(きねずか)とはいきませんでした。さっと読むにはだいたいの意味がつかめますが、正確に知ろうとすれば、一語一語、辞書を引かねばならないのです。しかも寄る年波で、さっき引いた言葉が、次のページに出てくると、忘れていて、また引かねばなりません。それはまだいいほうで、前の段落に出てきた言葉をもう一度引く羽目になります。
内容は非常に興味深いので、読み通そうと思っています。しかし、565ページの本を読み通せるのかと心配しています。
今、私はベーチャルダース先生の「知識を新鮮にしておけ」という言葉をかみしめています。私はせっかくの知識を無駄に腐らせてしまったのです。盲目のスクラール師の継続の力が私にはありませんでした。
石川恒彦