表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 稽古(最新号 令和7年5月)
おしゃべりの稽古をしています。
若いころはかなりのおしゃべりだったと思うのですが、年を取るにつれだんだん口が重くなりました。特に隠居をして、連れ合いと二人きりの生活になり、あまり外出もしなくなると、すっかり無口になりました。
さらにいけないのは、私が難聴になり、妻が発話障害になってからです。妻が何か言っているのが聞き取れません。私が話しかけても答えがわかりません。自然と話さなくなり、一日、会話のない日があります。
外に出ても駄目です。すこし前までは、リンゴを買っても、鉛筆を買っても、店番のおばさんと、ちょっとした会話をしましたが、今では個人経営の店は無くなり、買い物をしても、レジ係と話すことはほとんどありません。セルフレジなどという代物は、お話しの機会は皆無です。
友人知人が亡くなってしまったのも痛手です。私は人生の大部分を池上で過ごしましたので、いやでも町の人と知り合うようになりました。それが今では我が家から池上駅まで歩いても、話をするような人には誰も会いません。親しくしていた人たちは、おそらくみんな鬼籍に入ってしまったのでしょう。
孤独も悪いものではありません。一日口をきかなくてもなんていうこともありません。ところが困ったことに、あまり話をしないでいるといざというときに、うまく口をきけないのです。親戚友人がたまに訪ねてきても、話題が見つかりません。話し始めても、適切な単語が見つかりません。たまに冗談を言おうとすれば滑ってしまいます。
これは、おしゃべりの稽古をしなければと思うようになりました。
私の長女は遠くに住んでいます。妻が寝たきりになると、毎晩、見舞いの電話をくれるようになりました。はじめは会話が成り立っていましたが、病気が進んで、妻からは話せなくなりました。すると長女は、何かと話題を見つけて、一方的に話をするようになりました。どうやら妻も喜んでいるようなのです。
私も真似することにしました。ところが一日家にいる身には、うまい話題が見つかりません。だいたい、どういう話しを彼女が喜ぶかわからないのです。そこで無理に話題を見つけずに、新聞を読んであげることにしました。しかし、政治面も運動面も彼女の興味を引きません。社会面はというと、SNSや特殊詐欺だとか、彼女に限らず私にもわからない記事です。やっと見つけたのが人生相談です。人の悩みは、昔も今も変わらないようです。大きな声で、ゆっくり読むと、彼女が理解していることが分かります。
しかし、これではおしゃべりにはなりません。そこで誰でもちょっとした知り合いなら話しかけるようにしました。
先日、檀家で一番のおしゃべりの女性に会いました。面倒なので以前なら避けていた方ですが、これは稽古だと、立ち止まりました。案の定、彼女はおしゃべりを始めました。でも一方的なのです。私の口をはさむ余地がありません。稽古ははっきり失敗でした。
石川恒彦