表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 複姓(令和6年9月)
日蓮宗の僧侶は日号を持っています。日蓮上人の日という字をいただいて、日朗とか日輪と名乗るのです。たいていの人は名乗りだけで戸籍の名前は変えません。しかし職責や伝統によって戸籍を変えなければならない時もあります。
私の師匠が池上本門寺の貫首になったときも、戸籍を変更する必要がありました。家庭裁判所に出頭して、変更の理由を述べ許可を得なければなりませんでした。その時裁判官は「名前を変えることは国として奨励することではない。この場合、特別の配慮で許可することになる」といい、後日決定書をありがたくいただきました。
国の方針も一理あります。頻繁に名前を変えられては、国として困る事があるのは容易に理解できます。
師匠は、毎年8月15日に日本武道館で催される戦没者慰霊際に招待されていましたが、改名してからは、ぷっつり招待状が来なくなりました。改名したので、改名前の人がいなくなったと判断されたのでしょう。
そう考えると、結婚すると姓が変わるのは、もっと大変で、国も個人も大いに迷惑なのではないでしょうか。この点、国の方針は首尾一貫していないように見えます。おそらく明治政府が家族制度を守るために導入したのでしょうが、家族制度がなくなった今、必要がなくなったと考えるべきです。
夫婦別姓になると夫婦の絆が弱くなるという人がいますが、夫婦の絆はそんなに弱いものではありません。わたしは金婚を越えましたが、50年を一緒に暮らしてきた力に、夫婦同姓だったという要素は皆無です。おそらく偕老同穴の皆さんは同じだと思います。
夫婦別姓で考えなければならないのは、子供の姓です。両親どちらかの姓を選ばねばなりません。新しい姓を立てるのは混乱を招き現実的ではありません。収入の多いほうの親の姓でしょうか、女の子は母親、男の子は男親の姓はどうでしょう。ジャンケンでしょうか。夫婦喧嘩のもとになりそうです。
そこで考えられのが、海外にも例がある、複姓です。鈴木と佐藤から生まれた子は鈴木佐藤を名乗ります。名前を太郎と着ければ鈴木佐藤太郎です。通称は鈴木太郎でいいでしょう。両親どちらの姓を先に持ってくるかも決めておく必要があります。ここは妊娠出産の苦労を考えて、母親の姓を先に持ってくるのはどうでしょう。
さて、鈴木佐藤太郎君と高橋田中花子さんとの間に子供が生まれたらどうなるでしょう。高橋田中鈴木佐藤一郎では寿限無です。この場合両親の複姓から、任意の一つづつを合わせて新しい複姓とします。高橋鈴木月子、高橋佐藤月子、田中鈴木月子、田中佐藤月子の四つから選べます。兄弟姉妹は同じ姓にします。
複姓は初めは異様に感じられるかもしれません。しかし世界には長い名前の国が沢山あります。バラク・フセイン・オバマ大統領、ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン大統領、エマニュエル・ジャン=ミシェル・フレデリック・マクロン大統領。時がたてば自然と思えるようになるでしょう。
石川恒彦