表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 靖国神社 3(平成19年2月)
靖国神社を考えるとき、A級戦犯の問題を避けて通れません。A級戦犯は共謀して、世界の平和と人道に対して、取り返しの付かない大罪を犯したとされます。問題は日本人の大部分が、これら七人の指導者が、そんな大それた事の出来る、大物とは考えていないことです。たしかに威張っていたかも知れません。しかし、確たる信念と見通しを持って、国民を「指導」したなどとは誰も思っていません。状況に応じて右往左往していた、機会主義者出世主義者だったと考えています。
東京裁判史観といわれます。しかし、占領軍にはそんな史観など有りませんでした。各界の代表的な人物を選んで、壮大な共謀の物語を作ろうとした節はあります。これは明らかに失敗でした。あんなに批判の的となった「財閥」から誰も訴追されなかったことを見てもわかります。
日本型組織の特長は、下僚が起案したことを承認し、実行を任せ、成功すれば彼らの功とし、失敗したときは、上級者が責任を取るというものだといわれます。
戦争もそのように遂行されました。問題は、好戦的で強引な下僚の計画に、指導者達が引きずられてしまったことでしょう。松井将軍の統率力のなさが南京虐殺に結びつきました。東条大将の指導力の欠如が対米開戦となりました。本当は、服部卓四郎や辻政信、あるいは石原莞次が訴追されるべきだったかも知れません。しかしそれは欧米の指導者の通念とは違っていたのでしょう。彼らはそろって免訴となりました。
東京裁判が終わってみると、処刑されたA級戦犯の誰もが、大悪人からはほど遠い人物であることが明らかになりました。そこで生まれたのが、A級戦犯という神話です。かって日本にはA級戦犯という極悪非道の集団があったというのです。極端にいえば中身は問いません。
おそらくいまのブッシュ大統領は東条首相の名を知らないでしょう。しかしA級戦犯は理解できます。そこで、小泉首相がA級戦犯の祀られている靖国神社を参拝したとき、やんわりと不快の念を表明することができたのです。
A級戦犯は従容として絞首台に上りました。あたかも伝統に従い、一切の責任を背負ったかのようでした。中身は違いました。彼ら共通の安堵は、陛下に累を及ばさなかったという一点にありました。皮肉なことに、戦争の終わる前から、米英両国の間には、天皇を訴追しないという了解がありました。
A級戦犯の中身を知る日本人は、韓中両国の声高な非難を、理不尽に感じます。しかし、戦中の苦難、戦勝後の長い経済不振からようやく立ち上がりつつある国民の心情を思いやる必要があります。また私たちの不快感の中に、アジアにおける日本の存在感の相対的低下に対する、漠然たる不安があることにも気が付かねばなりません。
私たちは、大日本戦争の指導者の誰かを擁護し賛美することはできます。しかし、A級戦犯という仮想存在に同情の念を示すことは禁じ手です。公的に靖国に参拝することはできないのです。それが東京裁判史観だというなら、私はそれを受け容れます。
石川恒彦