表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 手を振る陛下(平成31年4月)
京都に桜を見に行きました。気が早すぎたのか、まだ開花前でした。緋寒桜や、河津桜が咲いていましたが、こちらは盛りが過ぎていました。観光客の顔をたっぷり見学して、帰途に就きました。
八条通りを渡ろうとすると、通行止めでした。駅舎を見ると、日の丸の小旗を持った人が並び、オートバイ、パトカーに先導された車列があります。中央分離帯には私服警官が10m間隔で並んでこちらを見ています。近鉄電車で、橿原神宮に退位のあいさつに行かれた、両陛下がまもなくお帰りになるのだと、誰かが教えてくれました。
しばらくすると、大型オートバイが二台並んで走りだしました。後ろの車列は動きません。またしばらくすると、今度は、黒塗りの車が二台、縦に並んで車列から離れていきました。少したって、とうとう車列が動き出しました。何台目かの車に旗が立っていますので、それが陛下の車と分かります。駅舎の外に立っている人たちは盛んに日の丸を振っていますが、ここまでは、歓声や万歳の声は聞こえません。
構内から出た車列は、私たちの前で左に折れました。道の向こう側を右に進んでいきます。その時アーっとどよめきが起こりました。陛下がこちらを向いて手を振っているのです。テレビでよく見る光景ですが、実際にそこに出くわすのは意外な感じでした。
私たちは、信号待ちをしている大衆で、万歳をしたり拍手をしたり手を振っていたわけではありません。それに向かって手を振られたのは、日ごろからおっしゃっている、国民に寄り添う天皇、象徴としての天皇の務めを、果たされているのだと思いました。寒い日でした。手など振らず、窓を閉めて、居眠りをされていても、私たちは、天皇の車列を見たというだけで満足だったでしょう。
退位を希望される談話で、天皇としての務めが果たせなくなってきたからと話されました。おそらく周りの人は、公務を減らしてでも天皇でいてくださいとお願いしたのでしょうが、責任感の強い天皇はその進言を受け入れなかったのでしょう。
陛下に気付かれないように、公務の負担を減らすことはできなかったのでしょうか。例えば被災地のお見舞いです。被災者が床に座って両陛下をお迎えすると、両陛下は膝をついて、言葉をかけられます。感激的な場面です。しかし、被災者はなぜ床に座っているのでしょう。立ってお迎えすることは許されないのでしょうか。立ってお迎えすれば、陛下も跪かなくて済みます。老人にとって立ったり座ったりは、つらいものです。だいたい、陛下をお迎えした施設の職員は立ったままです。案内をしてきた知事や市長も立ったままです。彼らは、被災者より偉いのでしょうか。
これは肉体的負担ですが、事務的、精神的な負担も多々あったのではないでしょうか。京都駅で見た、盛んな出迎えや、大げさな警備も、あるいはご負担に感じられていたのかもしれません。
手を振る天皇を見て、次の天皇には、時々は、象徴天皇の務めを忘れて頂けたらなと感じました。
石川恒彦