表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 阿波踊り(平成30年9月)
ここのところ毎年、お祭りを見に行っています。今年は、阿波踊りに行きました。
鳴門市で夕食をすませて、5時の集合。バスで徳島市に向かいました。市内の交通は渋滞でしたが、お祭りの賑わいは感じません。旅行社が駐車場を予約してあったホテルの前に止まり、手洗いを済ませて、会場に徒歩で向かいました。さすがに人が出ています。
市内にいくつかある演舞場のうち、私たちは、藍場浜演舞場でした。会場は細長く、両側に桟敷席が設けられています。6時の開演。遠くのほうで太鼓の音が聞こえます。女性の踊り子が先頭で入ってきます、男の踊り手が続き、そのあとを三味線、かね太鼓が追います。
踊りは単純で、手を挙げて、手と足の同じ側を出して進みます。女性は下駄を履いていて、つま先だけで歩きます。一歩進むに、一回軽く途中で地面をけっているようです。そろいの着物で、何十人という踊り子の動作がそろっているのは見ものです。大きく口をあけて笑っています。後ろの三味線方の女性たちが、にこりともせずに歩いているのと対照的です。むかしの阿波踊りでも娘が愛嬌を振りまいたのでしょうか。
男は、腰を沈めて、手を開いて踊ります。悪餓鬼が可愛い女の子をからかっているという風情です。
何か合図があるのでしょう。時々掛け声を叫びます。太鼓の音が大きくて、よく聞こえませんが、有名な「踊る阿呆にみる阿呆、同じ阿保なら踊らにゃ損損。エライヤッチャ、エライヤッチャ、ヨイヨイヨイ」や「ア、ヤットサー ア、ヤットサー」などと叫んでいるのでしょう。悪くありません。
一つの連(団体)が終わると次の連が入ってきます。みっちり稽古を積んだ連と、にわか作りの連とでは、はっきり実力が違います。しかし、踊らにゃ損損の気分はよく出ています。
少し予定の8時を過ぎて、第一部が終わりました。バスに乗って鳴門の宿に戻りました。バスの窓から見ると、演舞場でないところでも踊っています。歩行者天国や、無料の演舞場でも踊る連があって、そちらのほうが踊り手と観客との距離が近く、地元の人は、そちらを楽しむと聞きました。先ほど見た、にわか作りの連も、そういうところでは輝いているのかもしれません。
今年は、徳島市長が祭りの運営に口を出し、ひと騒動あったようです。祭りが踊ったり、担いだり、見物したり、振舞ったりする、地元の人の手を離れて、行政や観光協会が観光客の増加をたくらむと、祭り本来の香りが消えていくように感じられます。地元の人たちは、そういう変化の中で、独自の楽しみ方を模索しているように見えます。
祭りの中心を離れて、暗い道を歩き、何か音のするほうへ引かれていくと、地元の有志が地元の人の前で、歌や踊りを披露しているのに出くわすことがあります。とても幸せな感じになります。コップ酒を勧められたりすれば最高です。
私は少数派かも知れません。でも、将来仲間が増え、それに観光協会や旅行者が目をつけて、「神官と神社で宴会」とか「祭囃子を遠くで聞きながら町家でご接待」などという企画が生まれるかもしれません。いやですね。
石川恒彦