表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > オウム幹部の処刑(平成30年8月)
オウム真理教幹部13人の死刑が執行されました。
オウム真理教は、良く組織され、宣伝が上手で、多くの信徒を得ていました。教義は、いろいろの宗教から寄せ集めたゴッタ煮でしたが、やがて実践の中で整理されていく可能性もありました。空中浮揚やヘッドギアは世間の笑いものであり続けたでしょうが、自己研鑽を柱とする宗教は、ご利益優先の新宗教の中にあって、一定の尊敬を集め得たと思います。
そこになぜ、あのような反社会的というか自己破壊的な暴力の教えが紛れ込んだのでしょう。裁判では、すべては、教祖麻原の特異な性格と妄想に基づくとされました。麻原は、過去に暴力事件を起こしたり、薬事法違反に問われたり、順法精神に富んだ男とはいえません。また、極度の貧困の中で育ち、重度の弱視という障害を抱えていたことで、彼が社会に恨みを持っていたという安易な推論も全く理由のないことではないでしょう。
麻原が、社会に不満を持っていたとしても、それがすぐに反社会的な行動に結びついたのではないと思います。麻原は、むしろ社会に認められたいという願望を持っていたようです。一流大学を受験したり、カネもうけに精を出したり、ヨガに打ち込み教団を組織したり、あるいは議会選挙に立候補したり、皆、認められたいという願望の表れに思えます。
報道によれば、オウム真理教として、静岡県富士宮市に本部を設立して間もなく、修行中の信者が死亡しました。あろうことか、教団は、死者を焼却処分しました。発展を始めたばかりの教団にとって、死亡事件が公表されることは致命的と考えたのでしょう。これが、オウムに、不法行為を行うことの免疫を与えたように思えます。既成教団でも、修行中の死亡事件は起こります。伝統はそのときの対処の仕方を教えます。新興オウムにはその知識が欠けていたのです。
麻原は、サリン事件について、弟子たちに押し切られたと証言して、責任感のない奴だと批判されました。もちろん麻原の責任が最も重いのですが、遺体焼却にしても、サリン散布にしても、組織防衛という、組織の論理が働いていたことも確かでしょう。
幹部の処刑が終わっても、被害者や被害者の家族にとっては、事件の終わりというわけではありません。なぜこのような苦しみを受けなければならなかったのか、真実を知りたいといいます。犯人たちを生かしておいて、いつか真実を語ってもらいたいと希望する人もいました。死刑は、真実追及にも、犯罪抑止にも役立たないといわれます。
教団が名前を変えて存続していることに危惧を抱き、再び、サリン事件のようなことを起こすのではないかと心配する向きがあります。どうでしょうか。事件を起こしたり、予言が外れたりした新興教団は沢山あります。不思議なことに、そういうことでつぶれた教団はまれです。もっともらしい理由を見つけて、失敗を乗り越え、教団は存続します。オウム教団も、サリン事件を検察のでっち上げだとか、幹部の一部の間違いだったとか、強引な理屈を見つけて、尊師麻原の神格化に努めていくと思います。そこに暴力の入る余地はないと思えます。もし、何かが起こるとしたら、公安警察などの高圧的侮蔑的介入が我慢できなくなったときでしょう。
石川恒彦