表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 殿様になりたい(平成30年4月)
花の便りに誘われて、駒込の六義園に行ってきました。駅を降りるとすぐに、染井門がありました。夕方の4時半ごろでしたが、入場制限があって、門の脇に行列ができていました。困ったなと思っていると、案外列は早く進み、切符売り場にたどり着きました。一般300円、年寄り150円でした。
普通こういう施設では、入場料を払うと切符とパンフレットをくれますが、ここでは切符だけでした。ケチだなと思っていると、切符売り場の先に机があって、各国語の案内書が置いてありました。
人の動きにくっついて、風情のない道を進むと、また行列がありました。並ぼうとしたら、だんご屋の列でした。だんご屋の前はちょっとした広場になっていて、腰掛が置いてあります。だんごを食べたり、ビールを飲んだりしていました。その先に小さな門があって、それをくぐると、お目当ての枝垂れ桜です。
目測で幅20m、高さ15mぐらいでしょうか、見事なさくらです。大勢の人が立ち止まって桜を見たり写真を撮っていますが、互いに邪魔になるほどではありません。わたくしも、立派なカメラをもっている若い女性に頼んで、私の格安スマホで記念写真を撮ってもらいました。彼女は写真の出来が気に入らないようでした。
それから園内を一周しました。大きな池の周りを回れるようになった、池泉回遊式大名庭園です。元禄時代、五代将軍綱吉の側用人だった柳沢吉保が、八年の歳月をかけて造園したそうです。彼は詩歌に造詣が深く、万葉集と古今和歌集から八十八か所の景色を選び、その姿を庭に写したといいます。六義園という名前も和歌の六つの奥義にちなんでいるそうです。見どころの多い庭園です。しかし、見どころは、どこも人が群れていましたので、いちいち鑑賞するのは諦めて、庭内をぶらぶらしました。
小さな広場で、江戸太神楽(曲芸)をやっていました。膝を曲げ、腰を落とした姿で、いろいろの芸をやっていました。傘に金輪を乗せて、グルグル回し、「これで皆さんの金回りがよくなるでしょう」と笑わせました。
茶店で一休み。練り切りと抹茶を頂きました。少し肌寒くなり、夕闇が近づいてきました。電気の光が目立つようになりました。頃は良しと、枝垂れ桜のライトアップを見に立ち上がりました。驚きました。ものすごい混雑です。無理に見に行くのをやめました。
殿様だったらいいのになと思いました。「下々のもの、苦しゅうない、帰れ」とかいって、一人、桜を愛でて、「爺、筆を持て」といって、和歌をさらさら。
しかし、現在の六義園に柳沢吉保がやってきたら心穏やかではないかもしれません。吉保の子孫はあまり六義園の手入れに興味がなかったようで、江戸の終わりにはずいぶん荒廃していたようです。それを三菱の岩崎弥太郎が買い取って、修復しましたが、弥太郎の趣味が入り、昔の姿とはだいぶ違ったようです。敷地も狭くなりました。驚くことに、人気の枝垂れ桜は、戦後の植樹だといいます。
風流人吉保は、はたして、もののあわれと達観できるでしょうか。
石川恒彦