表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 年賀状(平成30年1月)
何年も会っていない昔の友人と年賀状だけは交換しているかたも多いと思います。わたしにも何人かいます。お互い元気なことを確認できるだけで満足です。しかし年を取るにつれ、だんだん相手が少なくなってきました。連れ合いの方から、寝たきりになったとか、痴呆症が進んでいるとか、最悪は、亡くなったという返事がきます。最近は葬儀が簡素化して、死をあまり広く知らせないので、亡くなったことを知らず、年賀状を出してしまいます。
表も裏も印刷という年賀状が増えました。味気なく感じますが、無事の知らせと思えばありがたくもあります。引退してからは、個人や法人からの宣伝がらみ義理がらみの年賀状は少なくなりました。そういう相手には返事を出しませんでしたので、今でも現役と思って、何件かは、引き続き年賀状をくれています。
私も文面は、印刷ですが、宛て名は手書きにこだわっています。宛て名印刷は機械が自動的にしてくれます。それでは相手の顔も思い出さないと思います。宛て名を書きながら、その人の顔を思い浮かべながら、どうしているかな、などと考えます。年賀状をいただいた時にも、下さった人のことを考えますので、年賀状のやり取りで、二回、知人と手紙の上で心を通わせることができます。
以前は、相当数の宛て名を書き、一仕事でした。今は数が減って、楽になったと思いきや、字を書くのがゆっくりになり、前と変わらぬ時間が必要です。間違えも多く、郵便番号欄に、電話番号を書き始めたりします。年を取ると、手も頭も言うことを聞いてくれません。
文面には、その年の一番印象に残った出来事を、ごく短い文で、印刷します。年賀状の印刷文を読む人は少なそうですが、毎年楽しみにしてくれる人も、何人かいます。面白いのは、読んでくれた人と、読まない人と、宴会などで一緒になったときです。読んでくれた人が、私の年賀状の中の出来事を話題にすると、読まなかった人は、話についていけず、不愉快そうになります。それに気づいた読んだ人が、「石川の年賀状は読まなきゃだめだよ」などと調子に乗ると、ますます読まない人は、不愉快になります。
私のところには、ほとんど来ませんが、イーメールで新年のあいさつを贈る人も増えているようです。随分凝った内容のものもあるそうですが、受け手は読むでしょうか。ソフトが発達すれば、コンピューターが賀状を認識して、賀状を贈らなかった人には返事を自動的に出し、住所やイーアドレスを登録して、来年に備えるようになるでしょう。送り手は、文章を作って、発信のボタンを押すだけになるかも知れません。年賀状の送付が簡単になれば、付き合う相手も増えます。それは、受けとる年賀状の数が増えるとうことですので、いちいち読む人はいなくなり、全く儀礼的なものなってしまうかもしれません。引っ越しなどの知らせが入っていても気がつかないままになりそうです。
一昔前には、毛筆で年賀状をしたためる人も少なく無かったように記憶しています。それが、万年筆、ボールペン、そしてワープロと変わってきました。人間味が薄れるなか、せめて文章とあて名書きで、血を通わせたいと思っているのです。
海外の知人には、国内向けと同じ文章に写真をつけて印刷します。せっかく海外に送るのだからと、手書きの文章を足します。案外大変で、毎年発送が遅れます。海外でも、誕生日や、クリスマスの時に綺麗なカードを交換します。ある友人によると、カードを贈る事が大事で、文章は気にしなくていいとも言われているそうです。
確かに、文面も宛て名も印刷の年賀状をいただいても、うれしいものではあります。
石川恒彦