表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > いとこ(平成29年8月)
今月は、母の13回忌に当たります。この機会に、母の甥姪、つまりわたしのいとこに集まっていただき、法要にあわせて、食事も楽しみたいものと招待状を出しました。
母の世代は、私の世代と違い、親戚を大事にしました。東京の下町生まれの大正人の母にとって、付き合いといえば親戚とご近所が主なものだったような気がします。ずいぶん遠い関係の親戚が訪ねてきて、親しげに話していました。客が帰った後、私にどういう人か説明してくれましたが、複雑で、よくわからない時もありました。いとこたちとは、しょっちゅう会っている感じで、まるで兄弟のようでした。
それが、みんな成長して、家庭を持つようになると、自然と疎遠になりました。月日が過ぎ、とくに母が亡くなると、何年も会わないいとこもあるようになりました。
招待状の返事をもらって驚きました。わたしの母方のいとこは、私の兄弟を含めて、13人いますが、そのうち3人が病気だというのです。しかも2人は、仕事ができないほどの重病だというのです。随分うっかりしたものでした。
親戚付き合いには、特有のわずらわしさがあります。子供や親戚に煩わされない人生が幸福な人生だと主張する学者もいるようです。実際、親戚づきあいを極力避けて生きている人も増えているようです。絶対に行き来をしない人や、冠婚葬祭にだけは義理を立てる人など、いろいろです。
戦後、出生率が下がり、親戚といえば、両親と祖父母だけという子供も沢山います。そういう人は、親戚のいる人と結婚しない限り、親戚とは一生無縁でしょう。
親戚がいるいないは、その人の個性みたいなもので、どちらがいいとは言えません。また、どちらかを自分で選ぶわけにもいきません。ただ、親戚のいる人は、親戚と付き合うか付き合わないか、選択ができるということです。私はどちらかといえば、親戚に冷たかったと思います。それが、最近では、親戚が馬鹿に懐かしく思えるようになりました。
現代では、私の母の時代とは違い、女性も社会に出て、交際範囲も広がっています。男も女も、元気なうちは、学校や職場の友人と気ままに交際できます。
ところが、年を取ると、だんだんと、昔からの友人知人が少なくなっていきます。かといって新しい友人は容易にはできません。趣味や社会活動を通じて知り合いはできますが、友人と呼べる人に会えるのはまれです。せいぜい、飲食をともに楽しめる間柄になれる程度です。永く趣味の会で親しくしている人が、どこで生まれ、どんな教育を受け、どんな仕事をしていたか、あるいは、どんな信条で生きているのか、まるで知らないこともあります。
親戚は、違うように思えます。会えば共通の背景が心に浮かびます。親戚でなければ、決して口を利かなかったであろう異質の人とも、なんとなく親しみを感じます。年をとったら親戚だと感じています。病気のいとこを見舞うだけでなく、もっと遠い親戚も訪ねてみたくなっています。
ただ、泣き虫で、怒りっぽかった私をどれぐらい歓迎してくれるかはわかりませんが。
石川恒彦