表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 運転をやめる(平成29年4月)
運転をやめました。やめる一番の理由は、報道です。年寄りがあっちこっちで、重大な事故を起こすことを知って、そろそろと思ったのです。免許はまだ二年有効ですので、その時にとも考えましたが、思い立ったが吉日とやめることにしました。
実は、思い当たることがありました。まず、バックが下手になったことです。駐車場で、何回か切り返さないと車列の間に入れなくなりました。孫の家は、路地の奥にあって、行きか帰りはバックで運転しなければなりませんが、大変苦労するようになりました。それに、気が短くなったのか、運転で無理をするようになりました。駐車している車と電信柱の間が狭いのに突っ込もうとしたり、信号が変わりそうな時にスピードを上げて渡ろうとしたりするようになりました。娘を車に乗せたとき、死ぬほど怖かったといわれました。そのせいか、年に一、二度、車にかすり傷を負わせるようになりました。
そういうわけで運転をやめたのですが、不便です。近所にすぐ他人の車に乗りたがる老人がいましたが、彼の気持ちがよくわかるようになりました。いいこともあります。一番は、家内を美容院や買い物に送って行かなくてもよくなったことです。運転をやめたら、昼間から酒を飲もうとも思ったのですが、いざとなると案外、飲みたくならないものです。
運転をしなくなって気がついたのは、人が車を持っていることを前提に、町も村も変化していることです。大きな駐車場を持つ大型店が、国道沿いや郊外にできています。それに従い、駅前などの昔からの商店街がさびれてきています。私の住む池上は、東京の一部ですので、一見したところ賑わっています。しかし、昔からの雑貨屋、金物屋、衣料品店、食べ物屋などが無くなりました。八百屋も魚屋も減り、その跡には、駅前に大きな病院があるせいか、薬局が何軒か入り、食べ物屋のチェーン店が入りました。
大型店には行けない、駅前には店がない、電車で行くのは億劫だというので、通信販売を利用するようになりました。しかし、やはり手に取って見比べてからでないと、物足りない気がします。本でも、衣料品でも、花苗でもです。それに、細かい値段も安いものを買うと、送料がばかばかしくなります。
道に歩道がなく、電信柱だらけなのも困ります。運転しているときも感じましたが、よく歩くようになってからは、もっと危険を感じます。皮肉なことに、老人介護施設や、物品配達の車が、しばしば、私の行く手を拒みます。
先日、頬の一部が腫れて、チクチク痛むので、皮膚科に行きました。帯状疱疹と診断されました。運動のしすぎで疲れたりすると症状が出るのだといわれました。運転をしているころ、運動不足だからと、夜の速足の散歩を家内としていました。運転をやめても続けていましたが、どうやら昼間歩くようになったのと重なり、運動過剰になっていたようです。散歩をやめました。おなかの肉は増えました。
運転手の要らない車の開発が進んでいるようです。早く実現しないかと心待ちにしています。しかしコンピューターの運転する車に命を預けるのは少し心配でもあります。コンピューターを悪人に乗っ取られたらどうなるのでしょう。
石川恒彦