表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 貧困と仏教(平成29年2月)
貧困は仏教にとって悩ましい問題です。教えの中心は、何物にも執着しないこと、欲張らないことです。少欲知足、何事につけ欲張らないで満足を知ることが、仏教徒の基本的生活態度だと教えられます。
国立社会保障人口問題研究所の調査によれば、過去に経済的な理由で食料が買えなかったことが、よく、あるいは時々あった人の割合は、人口の6.3%あったといいます。今日の食べ物にも困っている人に少欲知足を説けるでしょうか。
そういう人が満足を感じられる生活水準まで引き上げる手助けをするのも、仏教徒の大切な務めだと思います。多くの人が困窮した人を助けようと活動していますが、問題は大きく、個人の善意だけでは解決できそうにありません。社会全体で今の制度を見直す時に来ています。
貧困は、見えにくいし、定義のしづらいものです。収入で測るとしても、その人が持ち家に住んでいるか賃貸に住んでいるかで違ってきます。食料を買えなかった人も、頼れる親戚友人があったか、誰にも相談できなかったかで違ってきます。
貧困や格差を図るための数式や方法が色々提案されていますが、一長一短だといわれています。つまり、ある国の貧困者は何人位だとか、世界の中でその国の貧困率はどれぐらいの位置だといったことは、確実には言えないそうです。
それでも、いろいろの統計を勘案すると、日本の貧困率は上昇しているし、世界の中でも上位にあるというのが、貧困に関心のある学者たちの多数意見のようです。
一昔前は、スーパーで、レジ係がいちいち値段を計算機に打ち込んでいました。今では読み取り機にバーコードをかざすだけです。最先端の店では、かごに入れたままで、商品に付けられたチップを機械が読んでくれるそうです。レジ係はいらなくなります。
さらに進むと、機械が商品を見て、人参か大根かを判別して、計算し、最適な形で、袋詰めをして渡してくれるようになるといいます。値札付けの係もいらなくなります。浮いた人件費は会社のもうけとなり、株主や役員を潤します。
しかも、累進課税率が下がり、富裕層は昔ほど税を払わなくなりました。その上富裕層には、節税という抜け道もたくさんあるようです。それに反して、中間層以下は、しっかり税金を払わせられます。貧富の差が開くわけです。
技術革新は、止められません。技術革新は、新しい雇用を生むでしょうが、不要となる雇用のほうが多そうです。そこで、富裕層への課税を強化して、貧困層に回し、さらに最低賃金を上げて、貧困層を少なくする政策が最初の一歩でしょう。
資本主義は共産主義に打ち克った優れた制度だといいます。それによって歴史は終わったともいわれました。しかし、格差と失業は解決できませんでした。さらに、技術革新によって失業者は増えます。彼らには現金給付が必要です。
富者から貧者への所得移転政策により、生活はできるが仕事はないという人が町にあふれるかもしれません。仏教はそういう人に生きがいを与えられると信じています。
石川恒彦