表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > ロシアのお寺(平成28年6月)
地図を見ると、ウラジオストックのある沿海地方は、不自然に中国側に入り込んでいるように見えます。
東京都に、川崎と横浜の沿岸部だけが組み込まれているような感じです。
ロシアと中国の国境は、おおむねアムール川です。アムール川は、世界第8の大河で、モンゴル高原から東に向かい、ハバロフスクで北に流れを変えてオホーツク海にそそぎます。
ウラジオストックから2泊3日の汽車の旅で、ウランウデに着きました。あくる朝、ガイドの案内で、イヴォルギンスキー寺を尋ねました。広い境内だが、雑然とした印象で、舗装されていない駐車場に車を止めました。観光バスも止まっています。
今日は高僧のミイラが公開される日で、遠くモンゴルからもお参りがあるそうです。信徒の列に並んで、本堂の中に入りました。4,5拾人の僧が読経していて、その調子は日本と変わりません。ただ、姿勢は自由なようで、お経の本に覆いかぶさるように目を近づけている人や、周りをきょろきょろ見ている人など色々です。
本尊にお参りをすますと、その隣に幕で覆われた場所があります。近づくと、僧侶が幕を上げてくれます。高僧のミイラです。彼は、自分の死期を予言し、将来生きているときの姿で、再びこの世にあらわれると約束して亡くなったそうです。予言どおり彼は発見され、それが、この寺の繁栄に繋がったようです。
そまつな建物ですが、僧院がいくつもあって、学校兼宿舎になっているようでした。集会所の建物では、ブリヤート語のコンテストが行われていました。
その日の午後、郊外の野外博物館に出かけました。バスから外をのぞいていると、お寺らしき建物が見えました。降りることにしました。ここもやはり荒涼としていて、小さな建物が沢山あります。本堂らしきところから、お経の声が聞こえてきたので、入ってみました。20人ほどの僧侶がお経を読んでいました。お経の途中で、シンバル、笛、太鼓が入るのが特徴です。椅子に座って聞いている人、正面に進んで、お参りをして出ていく人、何か導師に話しかけている人など様々です。
どういうお寺なのか聞きたかったのですが、ロシア語以外通じず、わからずじまいでした。かなりの信仰を集めているのは確かでした。
数日後、サンクト・ペテルブルグでは、グンゼチョイネン寺に参りました。地下鉄で都心から30分ほどのところにあります。ロシア革命の少し前に建てられ、革命後は政府の施設になっていましたが、ソ連崩壊後、元の姿に戻ったということです。チベット風ともモンゴル風ともいえる、異彩を放つ建物でした。
本堂の前では、護摩供養を行っていました。数名の僧侶が読経するなか、導師が次々と供養の品を火にくべていました。助手の僧侶が、導師の仕事を手伝っている姿は、日本と変わりません。帽子をかぶり、袈裟をつけた導師の顔は、どこか俗っぽく見えました。ところが、法要を終え、帽子や袈裟を取って、信徒にお札を配る段になると、引き締まった顔になっていました。おそらく火の熱さが、彼の顔を変えていたのでしょう。
堂内に入ると、砂曼荼羅を英語で説明している女性がいました。終わったら、話をきこうと思いましたが、いつの間にかいなくなり、残念なことをしました。
モンゴル系ロシア人の間での、仏教信仰の復活は顕著なものがあるといわれます。私の訪れた三つの寺でも、ほとんどの人は、明らかにモンゴル系の顔をしていました。しかし、ほかのロシア人もいて、単なる観光ではないと見て取れる人もいました。
石川恒彦