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隠居からの手紙

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人は見かけに

  宮古島に着くと、まず、レンタカー屋に行きました。手続きを終え、少し待つと、車の用意ができたと駐車場に案内されました。無愛想な男で、必要最小限の説明をすると、次の客の所へ行こうとします。引きとめて、ナビの使い方を説明してもらいました。気が付くと、頼んであったチャイルドシートがありません。指摘すると、ちらっと書類を見て、倉庫に行ってしまいました。黙って戻ると、シートを付け、何かブツブツ言って、その場を去りました。宮古島の第一印象はよくありませんでした。

  私たち夫婦、次男夫婦とその子供二人、一行6人の夏休みでした。少し離れて暮らす次男一家とは、普段交渉が少ないので、この機会に孫とおおいに遊ぼうという魂胆でした。 宮古島は三つの小さな島と橋で結ばれています。池間島へ行きました。橋を渡ってすぐにある茶店で休みました。空いた席に坐って、ちょっとぼんやりしていました。すると店のおばさんがやってきて、ぶっきらぼうに、「注文を決めて下さい」と言います。メニューを見ても何のことかわからないので、売場に行ってどんなものか聞きました。さっきのおばさんは案に違って親切で、孫にもちゃんと説明してくれました。私は普通のアイスクリームでしたが、ぜんざいアイスクリームパフェと、マンゴーアイスクリームパフェは絶品だったようです。

  おばさんが、台風が近づいているので、明日からは船が出なくなるといいます。急に池間島のグラスボートの招待券を貰っていることに気が付きました。家内は、券をもっていましたが、息子はホテルにおいてきていました。駄目もとで、乗り場で話してみました。驚いた事に、宿泊先を伝えると、明日券をもって来てくれれば、今乗れるといいます。明日は営業できるかどうかわからないからです。水は澄んでいて、サンゴ礁がきれいでした。しかし魚が少ないので、孫たちが喜んだかはわかりません。

  あくる日からは、海は遊泳禁止になりました。息子夫婦が孫たちをプールで遊ばせるというので、老夫婦は海岸線を車で走ることにしました。凄い波でした。灯台で会った地元の人が教えてくれたゴルフ場の食堂で昼を食べました。酷暑で、ゴルフをしている人はいないらしく、食堂は閑散としていました。会計係も退屈そうに立っていました。お金を払って、ついでに土産をどこで買ったらいいか聞いてみると、急に親切になって、店の名前を二三教えてくれ、地図に印をつけてくれました。おかげで、地元の人の行く店で、お土産を買うことができました。

  町の方に向かうと、新城(あらぐすく)海岸という標識がありました。海岸に降りて行くと、真っ黒に日焼けして、目がぎょろぎょろ、ひげを生やした、上半身裸の男がいました。彼が駐車場は向こうと指さすので、ちょっと疑いが起こりました。窓を開けて、駐車は有料かと聞くと、無料だというので少し疑いながらも車を止めました。海岸を少し散歩して、車を出すと、また彼がいました。町への道を聞くと、ちゃんと教えてくれました。駐車料金はいりませんでした。

  朝ご飯は毎日宿のバイキングでした。毎朝長い列ができ、眼鏡をかけた口数の少ない痩せた男が、客をさばいていました。ある朝、上の孫が牛乳を飲みすぎ、激しく戻しました。
店の人に処置を頼むと、あの眼鏡男が来て、いやな顔もせず、きれいに掃除してくれました。
帰る日は、雨が強くなってきていました。レンタカーを返す前に満タンにしなければなりません。ガソリンステーションが見つからないままレンタカー屋に着いてしまいました。初日の男がいましたので、ガソリン屋の場所を聞きました。指をさしながら、道の名前と交差点を教えてくれました。私が不安そうにすると、ナビに目的地を入れてくれました。 帰りの飛行機では、後ろに坐った孫がしょっちゅうちょっかいを出してきました。
孫と仲良くなれたと満足でした。宮古島の人は社交的ではありませんが、親切で誠実でした。人は見かけによらないとはこのことですね。きれいな海の宮古島がすっかり好きになって帰京しました。

石川恒彦

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