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隠居からの手紙

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ウズベキスタン

   ウズベキスタンに旅行しました。  お釈迦さまは、北インドの中央部に生まれ、そこで悟りを開き、そこで教えを説きました。日本は、インドの東にありますが、仏教はインドから東にまっすぐ日本に伝わったわけではありません。
仏教は、ガンジス川流域から北西に進み、インダス川を越えて、ヒンドゥークシュ山脈に至り、そこを越えて中央アジア南部一帯に広まりました。そこから今度は東に向かい、パミール高原を越えタクラマカン砂漠に突き当ると砂漠を迂回して二つに分かれ、中国に向かいました。中国で二つの流れはひとつとなり、中国仏教を成立させました。そこから朝鮮半島を通って初めて日本に仏さまの教えが伝えられました。

    仏教は広まるにつれ、その広まった地域の風俗歴史から影響を受け、教えの説き方が違ってきました。北に広まったチベット仏教、南に広まった上座仏教、大きく迂回して中国に伝えられた大乗仏教は、表面、違った印象を受けます。

    とくに大乗仏教は、平原、山岳地帯、高原、砂漠と、極端に違う風土を通りました。
注意しなければならないのは、この道を通って時間をおかずにインドから中国に教えが伝えられたわけではないことです。ある地域に教えが伝えられると、ある期間そこで教えが広められ、新しい性格を与えられて、次の地域に伝えられるという過程をふんだことです。

    今日、大乗仏教の歩んだ道は、パキスタン、アフガニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギス、カザフスタン、そして中国の新疆ウイグルと、イスラム教が行われる地帯となっています。
仏教はいつの間にか消えてしまいました。遺跡だけが残っています。

  今回の旅行の主目的は、ウズベキスタンのテルメズでした。ここは、アム河の渡河点で、対岸はアフガニスタンです。河を利用した交易の中心として、大変栄えた町だったようです。ここに仏教遺跡が残っています。2,3世紀のものと言われる。カラテペ、ファヤーズテペ、ズルマラ大塔などです。

   カラテペは軍事基地の中にあります。アフガニスタンからの影響を警戒して、大変厳重に警備されています。あらかじめガイドが入場許可を得ていましたが、再度審査があり、許可にはずいぶん時間がかかり、最後は全員のパスポートを調べられました。軍の要員が案内に立ち、写真は厳禁でした。
門から徒歩で15分ぐらい、日干しレンガでできた僧院は、やっと残っているという感じでした。大きさから見て、相当の数の修行者がここに住んでいたと思われました。テルメズはウズベキスタンのアフリカといわれる酷暑の地で、門にまた歩いて戻った時にはふらふらでした。 次はズルマラ大塔跡を目指しました。
バスを降りて途中まで歩きましたが、麦畑に遮られて、そばまで行けませんでした。高さ13メートルしか残っていませんが、畑の向こうにずいぶん大きく見えました。仏塔は移動する商人達のお守りとも目印とも言われています。

   ファヤーズテペは、カラテペと一体だったようです。軍事基地の外のようで、ここは自由に出入りできます。ただ私はすっかり疲れてしまい、バスに残りました。行った人の話では大変興味深く、カラテペより保存状態もいいとのことでした。また、アフガニスタンも良く見えたそうです。ここで出土した釈迦像は、タシケントの博物館にあり、後日拝むことが出来ました。小ぶりですが大変優れたものに見えました。

   パミール以西では、仏教関係の文書はあまり残っていません。カラテペからは小乗仏典も少量発見されましたが、重要度が低いといわれています。この地方で仏教が信仰されていたのは確かですが、どのような実践がなされていたのかは遺跡遺物からは、わからないところがあります。
ところが1994年にアフガニスタンで大量の文書が発見され、現在鋭意解読が進んでいます。遺跡遺物に加え、遺文によるこの地方の仏教の解明が進むものと期待されています。

石川恒彦

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