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隠居からの手紙

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母と子

  春休みに小学校二年の孫が来ました。本門寺に散歩に誘い、妙見坂から登りました。

  花の盛りでしたので、花の名前や特徴をいろいろ説明してやりました。孫は新しい知識を得てご機嫌でした。帰りは本門寺の正面の階段を降りました。彼は男坂、私は女坂を降りました。元気いっぱい、遅い歩みの私を何度も見に登って来て見ては、また駆け下りて行きました。

  塔頭のお寺から盛装した兄妹が出てきました。手に花を持っています。「入学式だね」孫が聞きます。
見ると後ろから御骨を持った若い男性が歩いてきます。「違うよ、あれはお母さんが死んで、骨を埋めに行くんだよ」

  孫は一瞬固まりました。やや間をおいて、「ママが死ぬのは一番悲しいね。パパでもやだけど、やっぱりママが死んだ子は一番かわいそうだよ」。先ほどまでの浮き浮きした孫ではありませんでした。
隣の花のきれいな寺の庭に入って、草花の説明をしても、もう上の空でした。

  鳥は、卵の殻を破って最初に目が合った動物を母と思い特別の感情を抱くと言われます。人間の場合は、長い妊娠期間、重いお産、そして、一人前になるまで授乳に始まる長い養育の期間があります。
母と子との特別のきずなが生まれるのでしょう。父も愛されますが、どうも母のあとに来るように思えます。
母の日があります。父の日もありますが、ちょっと影が薄い気がします。歴史的にも、母の日が出来てから、父の日が出来たようです。

  仏教が中国に伝わった時、一番の困難は、釈迦が親孝行を説かなかったことでした。中国では、長い伝統で、孝が重視されました。例えば「孝は百行の本」と言われます。五倫、すなわち親と子、君と臣、兄と弟、妻と夫、我と友、人間がつながる基本的五つの関係で、親と子、特に父と子の関係が一番大事と考えられていました。それが孝です。父系社会の中国では、父から子、子から孫と、連綿とつづく父の姓を継ぐ家の繁栄が大切でした。そして、先祖をまつることで、家系を確認すると同時に、先祖の加護も期待したのです。仏教には、もともとは、先祖供養の教えがありませんでした。

  仏教では、濃密な人間関係を重視しません。むしろそれは、人間に執着心を生じさせ、苦悩のもとにさえなると教えました。だからといって、人間の自然な愛情を否定するわけではありません。

  目連尊者の母親は強欲で知られました。母親が死んだ時、目連尊者は母親が地獄で苦しんでいるに違いないと悩みました。お釈迦さまに相談すると、お釈迦さまは、母親にかわって、比丘たちにご馳走しなさいと薦めました。尊者は信者の助けを借りて、比丘たちをもてなしました。供養が終わると、尊者の心配は消えました。母を心配する子の気持ちは自然です。

  また、鬼子母神の説話があります。鬼子母神は他人の子供が死んでもなんとも思わぬ性悪女でした。
ところが、自分の子供が死ぬと半狂乱になりました。お釈迦さまはそれを見て、鬼子母神に村の家を一軒一軒訪ね、子供が死んだことのない家を探しなさいと諭しました。医療の未発達な時代です。 そんな家は一軒もありませんでした。鬼子母神の心は収まりました。過剰な愛情が執着心を呼び、人を悩ませるのです。

  母と子との間の愛は、子の成長とともに複雑に展開します。時に母と子が激しく憎み合う時もあります。
それでも赤ん坊の時に抱いた母への愛情は、人間が人間と関係を結ぶ最初のそして大事な基本の愛ではないかと思います。

  結婚しない人や、子供を作らない夫婦、同性を愛する人などは、昔からいました。
それでも、結婚して子供を作る人が、当時も今も将来も主流です。母と子の愛情が起点となって、社会の人間関係を作っていくと思います。私の孫の示した母親に対する愛情の自然な発展が大切です。
そこに親子関係はこうあるべきだという強制が入るのは、好ましくありません。

石川恒彦

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