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隠居からの手紙

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ほこら

  都心を歩いていると、思いがけず、小さな祠(ほこら)に出会わすことがあります。稲荷、地蔵、庚申、いろいろな神様が祀られています。たいていきれいに掃除されて、花や線香が上がっています。
お参りをする人も管理をする人もいるのがわかります。

  私の住む都会の外れの池上にも祠がいくつかあります。妙見坂を上がるといぼ取り地蔵が祀られています。古い地蔵像はすっかり崩れていますが、横に新しい像が立っています。誰が納めたのか誰も知りません。像の前に積んである小石を一つもらって帰り、いぼをなぜます。いぼが消えたら、その石と新しい石をもう一つ、お地蔵さんに供えます。ただ、参拝する人のほとんどは、いぼに関係ありません。

  地蔵は大慈悲の菩薩です。お釈迦さまが亡くなってから、弥勒(みろく)さまが現れるまで、この世で衆生の救済に当ります。我々が目にするのは、柔和なお顔のお地蔵さまですが、本当は、閻魔大王と一体なのだと言われます。私たちがあの世に渡る時、閻魔大王は、地蔵菩薩の姿をしていた時に知った衆生の行いを閻魔帳に記していて、それによって、衆生を地獄から仏界まで振り分けるのです。あまり身勝手なお願いをしてはいけないということでしょう。
いぼ取り地蔵から永寿院の後ろを回って、めぐみ坂を下りると庚申(こうしん)さまがあります。
坂の上にお寺が二軒、神社が一軒、坂の下にお寺と庚申堂があるので、坂の名前がめぐみ坂となったというわけではありません。坂の途中にキリスト教会の経営する、めぐみ幼稚園があって、その園児や親が自然の名付け親になったようです。

  この庚申堂は1メートル四方ぐらいの小さなものですが、立派な瓦屋根がのっかっています。最近修復されたようです。よく見ると瓦が普通より小さく特注ものです。このお堂のためにお金を出し合う人が今もいるのです。この庚申堂は、もともとはもう少し南の昔の村道寄りにあったのですが、道路拡張か何かで、ここに移ってきたそうです。少し前までは、庚申の夜には、人びとが寄り合い、賑やかな夜を過ごしたと古老が話します。

  庚申さまは、仏教、道教、儒教、神道がまじりあった不思議な神様です。庚申というのは、中国の暦で、十干十二支(じゅっかんじゅうにし)を組み合わせて、60周期で巡って来る日または年の名前の一つです。
道教によれば、庚申の夜に眠ると早死にするといいます。そこで、平安貴族は、夜眠らないようにしました。
眠らないために、貴族たちは一カ所に集まって、いろいろ眠気覚ましの芸能を行いました。それが庶民の間にも広まっていったのです。

  その中心に祀られたのが庚申さまです。もともと暦の上の名前ですから、神様ではありません。
庚申(こうしん)から荒神(こうじん)を連想しました。荒神は帝釈天です。帝釈天では、どうも庚申の祭りに合いません。帝釈天は青い肌をしています。そこで、庚申さまは青面観音ということになりました。また、庚申の申は、さると読みます。そこで見ざる聞かざる言わざるの三猿も祀られました。

  池上の庚申像も、その伝承によくしたがっています。庚申の年、延宝8年(1680)の造立です。

  庚申さまから西へ50メートルほど歩くと、柔心地蔵があります。これは、最近子供を亡くしたかたが建てました。お堂は庚申堂を一回り大きくした程度ですが、地蔵像は大きく、もしかしたら亡くした子供の背の高さに合わせたのかもしれません。名前の由来は知りませんが、お地蔵さまの目を見つめて合掌すると、硬い心が柔らかくなる感じがすると評判です。

  普段見過ごしている町や村の祠に、何かの縁で一度手を合わせると、気持ちが何か変わります。
伝えられる歴史や御利益は関係ありません。心を虚しくしてただ手を合わせます。
人知の及ばぬ世界への畏敬が生まれ、謙虚になれます。科学の力で、何でもできると考える現代人にとっても、路傍の祠は、案外、大切なのかもしれません。 

石川恒彦

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