表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 奴隷(平成26年4月)
今年に入って、アメリカの黒人が主人公の映画を二つ見ました。「それでも夜は明ける」と「大統領の執事の涙」です。日本語題名は少し映画の主題からそれているように感じます。
英語の原題を直訳すれば、「奴隷12年」、「執事」となります。このほうが二つの映画が訴えようとした問題が明瞭だと私は感じました。共に実在の人物をモデルにした映画です。
「それでも夜は明ける」は、1800年代の物語です。ニューヨークの音楽家で自由黒人のソロモンは、だまされて奴隷商人に売られてしまいました。彼は南部に連れられて行き、12年にわたって奴隷の生活を綿花農場で送ります。
外界から完全に遮断され、少しでも主人に逆らえば、暴力で押さえつけられます。
12年目にやっとニューヨークに手紙を送れました。それを読んだ友人が保安官と一緒に駆けつけ、助け出され、妻子の待つニューヨークに帰ることが出来ました。
「大統領の執事の涙」は、1900年代の物語です。人種差別がまだひどかった、南部の農場で働いていた父親が白人農場主に殺され、母親が精神に異常をきたしました。
より良い未来を求めて、北部にやって来たセシルは、ウェイターとして働き、やがて働きを認められ、大統領府の執事に採用されます。以来七人の大統領のもとで誠実に職務を全うして退職します。
それぞれ実在の大統領の性格や発言が描かれ、興味深いエピソードと共に物語は進みます。
しかし、主題は白人社会における黒人の立場です。懸命に働いて、黒人も白人と同じ能力があることを示すことによって、黒人の地位を向上させようという父親の立場と、公民権運動に目覚め、政治運動によって、黒人の地位を向上させようとする長男の立場との対立が、鮮明です。やがて、長男の運動を理解し、退職後に和解できました。最後は、黒人最初の大統領に選ばれたオバマにホワイトハウスに招かれます。
「それでも夜は明ける」では、主人公は奴隷状態から抜け出ることが出来ましたが、彼は背後に沢山の奴隷を残してきました。特別につらい立場にあって、ソロモンに助けを求めていた若い女奴隷を主人の命令で鞭打たねばなりませんでした。農場を去る時、彼女が追いかけて来ても、振り払わねばならなかった不条理は、観客の胸に響きます。
コロンブスがアメリカに到達したのは、1492年。白人たちは、先住民のインディオを酷使して植民地を建設しました。病気と酷使によりインディオの人口が減ると、彼らはアフリカから黒人奴隷を運んできました。それ以前から西洋は黒人奴隷を使っていましたので、ごく自然な選択と、考えられたようです。その数、南北アメリカを合わせて、2000万と言われます。船底に詰め込まれ運ばれた彼らは、アメリカに着く前に死んでしまった人も少なくありませんでした。近世の奴隷制度は人種差別を基に生まれました。アメリカの農場主は、奴隷を使って莫大な利益を得ました。しかし、アメリカ社会全体が利益を得たとは言えません。奴隷は奴隷でなければ発揮できた能力を発揮できません。賃金を貰えない奴隷は、市場での消費者になれません。
今日では奴隷制度はありませんし、肌色による差別も法的には存在しません。しかし見えない差別は引きつづき根強いように見えます。アメリカだけの話ではありません。日本でも、いろいろな場で差別があります。学歴、性差、国籍、職業、貧富、肉体、枚挙にいとまがありません。差別は人道にもとるだけでなく、差別する事により、奴隷労働と同様、差別される人々の能力を無駄にしています。差別は利益を生みません。
女が仕事に失敗すれば、女だからと言われがちです。同じ失敗を男がすれば、運のせいになります。彼女には次の仕事がなかなかきませんが、男だと別の機会があります。
奴隷は主人の命令に逆らうことが出来ません。差別する人は、差別という主人の命令に逆らえません。差別する人は、差別の奴隷に見えます。
石川恒彦