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隠居からの手紙

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愛国心

   私がアメリカに住んでいたのは、日本の車がアメリカで売れ出したころです。
友人がロサンゼルスとラスベガスを、トヨタのコロナで往復して、何事もなく帰って来たのが評判になりました。ホンダがカリフォルニア・ハイウエイ・パトロールにオートバイを売り込もうとして、テストを受けたところ、ハーレー・ダビットソンより、初速が遅いと不採用になった、今では信じられない話もありました。

  日本では、国産車が性能を上げ、誰もが車を買える時代に入り、ホンダは、あちこちのオートバイ・レースで優勝していました。日本車は、もっとアメリカで売れるはずなのに、やはりアメリカ車には追いつけないのかと愛国心が刺激されました。

  それから、インドに住みました。当時、インドは厳格な輸入車禁止で、何年も前にイギリスからライセンスを貰ったアンバセダーという車とイタリアからのフィアットを国産していました。どちらもひどい車で、ある議員が国会で、「我が国の車は、ドア、窓、車輪、エンジン、ブレーキ、すべて大きな音をたてる。音のしないのは、クラクションだけだ。」と、演説しました。

  私が、それを聞いて笑うと、インド人の友人は、「アメリカ人はしょっちゅう、新型車を出す。それは、購買者の見栄を刺激して、必要もない消費をさせるためだ。インド人は古いものを大切に使う、資源を大切にしようと思うからだ。アメリカは、高々300年の文明だ。君はヴェーダを読んだか。」

  愛国心ですね。

  それから夏をネパールで過ごしました。カトマンズの街を歩いていると人だかりがしています。
白いワンボックスカーで、トヨタでした。国籍混淆のヨーロッパ人が、パリからここまで、この車でやって来たと言います。
長い道中、一度も故障せず、標高1,300mのここまでやってきました。
当時はもう、日本車は定評があって、すぐに車は売れ、その資金で、今度はオーストトラリアまで行くんだと言っていました。ちょっと誇りを感じました。

  彼らは、面白い情報をもたらしました。シトロエンでカトマンズを目指しているフランス人を追い越してきたというのです。シトロエンのいちばん小さなやつ、シャーシーにトタン板を張り付けたようなやつです。
数日して、フランス人達がそろそろつきそうだといううわさが流れると、街に入る外国人達が落ち着かなくなりました。しょっちゅう通りを覗いて、まだかまだかという風情です。
あるものはビール片手に、あるものはハッシュを口にくわえて、勝手な事をしゃべっています。
やがてやって来たシトロエンを見ると皆拍手と歓声でした。

  当時、たしか植村さんが、エヴェレストに登っていました。新聞社がスポンサーで、沢山の日本人がカトマンズを通って行きました。しかし、町ではほとんど話題になりませんでした。それに対して、くだんのフランス人は英雄でした。酒場では彼らの話でもちきりでした。日本人が少し小さく見えました。ただ、シトロエンはなかなか売れなかったようです。私の愛国心は変にねじれました。

  家族、故郷、国を愛する気持ちは自然なものです。ただ、それを声高に叫ぶと、途端に胡散臭いものになります。
アメリカの夫婦は、しょっちゅうアイラブユウとかダーリンと言っていますが、意外と離婚率が高いようです。
愛国者だと自称する人の行動が国益に反する事はよくあります。

  「ストレートな祖国愛や熱烈なナショナリズムが許されるのは植民地と元植民地の特権であって、占領者と元占領者側及び富裕国の場合は、よほどセンスよくやらないと拒否反応を誘う。」

  これは、師岡カリーマ エルサムニー「変わるエジプト、変わらないエジプト」から引きました。師岡さんは私よりずっと若い方のようですが、味わうべき言葉に思えます。

  日本は戦争に負けて、アメリカに占領されました。不思議な事に、自称愛国者たちは、アメリカにではなく、敗戦の結果失った元植民地の人々を傷つけるのを喜びとしているようです。 

石川恒彦

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