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隠居からの手紙

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技術革新

  経済は、すべての人間と自然がかかわる複雑な運動です。経済学者と言われる人々は、経済の全体を観察するのが難しいのでしょう、その一部を切り取って、曲線や数式を作り大変な発見をしたと宣伝している人種に見えます。

  経済学の発見に従い、実際の行動を起こしても、その行動の結果が、教えによるものだったか、それともほかの要素が影響したのかは、よくわからないのが普通なようです。

  現在の日本には、閉塞感が漂っているとされます。この閉塞感が、デフレによるかは意見の分かれるところです。政府は、デフレ退治のため、市場にお金を思い切って注ぎ込む必要があるといい、実際に実行しようとしています。前代未聞の金融緩和によって、景気が回復すれば、この理論が正しかったと、当局者は胸をはり、また、失敗すれば、政策の足を引っ張ったと、他の要素を非難して終わりとなるでしょう。経済は複雑怪奇で、いかなる屁理屈も通りそうなのです。

  人類の歴史を巨視的に見るなら、人間世界の富を大きくしたのは、ただ一つの要素によります。技術革新です。おそらく樹上生活をしていた人類の先祖は、最初の技術革新、二足歩行を憶えました。次いで、棒きれが有用な事を知ったでしょう。棒を使い小動物を殺し、樹上の手の届かないところにある果物をはたき落したでしょう。その結果は人口の増大です。道具を使っての採集食物という富の増大が、人類の健康を改善したからです。

  石器時代、銅器時代と技術革新は進みました。その過程で、人類は、食べて寝る以外の楽しみを見つけました。歌を歌い、芝居を演じるようになりました。食べ物も、栄養を満たすだけでなく、おいしいものを憶えました。そして、数千年の昔には、現在文化と呼んでいるものが出そろいました。物質的には現代と比べれば貧しいものでしたが、文化の内容は高いものがありました。ギリシャやインドの哲人の思想は、今も私達を刺激します。

  奇妙な事に、アリストテレレスもブッダも、文明の進歩(技術革新)と富の蓄積の関係については言及しません。当時は技術の革新は、非常に遅く進み、お釈迦様でも御存じなかったのでしょう。

  技術革新の速度が速まったのは近代に入ってからです。そして現代は、日進月歩と言われます。世界中の政府も民間も、他人に先んじようと、膨大な研究開発費を使うようになりました。日本の停滞感、閉塞感は、その流れに乗りそこなったという焦燥感です。これまでは、先進の技術を追いかけていましたから、方向性は定まっていました。投資をそちらに振り向ければよかったのです。しかし、既存技術の先頭にたった今、どちらの方向に行ったらいいのか分からなくなっています。

  商品開発を例にとれば、ウォークマンやスーパーマリオは独創的で、世界中で受け入れられました。しかし後が続きません。カラオケや温水便器はすぐれて独創的です。ところが、これらは日本人の要求のみに応えるもので、世界に受け入れられませんでした。ロボット掃除機やスマートフォンは日本で生まれても不思議ではありませんでした。その方向には資金が投じられなかったのです。

  政府は分野を選び、集中的に研究開発に投資しようとしています。民間もおそらく追従してそれらの分野への投資を増やすでしょう。現政府のインフレ政策の目的の一つは、資産価値が上がれば、企業の名目価値が上がり、新規事業への融資が受けやすくなる事だと言われます。

  しかし重要なのは、海のものとも山のものとも分からない分野への冒険的投資ではないでしょうか。
そこにこそ流れを変える技術革新が期待できます。財布に百円しかないが、知恵と技術はある起業家に融資が行くようにしなければならないと思います。アメリカでは、起業家が投資を募って、宇宙船を打ち上げ、電気自動車を開発しています。冒険に投資する。そういう文化が必要だと思うのです。富を創るのは技術革新です。

 

石川恒彦

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