表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 武士の家計簿(平成25年2月)
数年前、武士の家計簿という映画がありました。金沢藩の下級武士が残した詳細な家計簿に基づいて作られた映画です。武士の面目を保つため、代々重ねた借金が年収の二倍に膨らんでしまいました。そこで思い切って、見栄や誇りを捨てて家財を整理し、足りない分は貸主に負けて貰い、家政を立て直しました。
その後、明治維新に遭遇しましたが、他の藩士に比べて、うまく運を拓く事が出来ました。
借金は癖になるようです。目の前の必要のためにお金を借りて、うまく返せるとまた借金をします。
だんだん借りるお金が大きくなって、とうとう返せなくなってしまいます。借金は本来投資のためにするものでしょう。子供の教育資金だとか、起業のためだとか、その金で果実を生みだし、利子を付けてお金を返してもまだ利益が残るというのが、上手な借金でしょう。
国の財政と家計とは違うと言われますが、基本は変わらないと思います。国債を発行して経済を成長させ、税収が増え、国債を返せれば、成功した借金です。1964年の東京オリンピックの後、急激に景気が落ち込みました。政府は戦後初めて、赤字国債を発行して、景気を刺激しました。結果は上々といえるでしょう。いざなぎ景気と言われる好景気が出現し、国債も返済できました。
この国債発行は一年だけでした。その後赤字国債なしに財政が運営され、経済も成長しました。1968年にはGNPが世界第二位になりました。1970年には大阪万博が開かれ、今思い返すとこの時が、日本の頂点でした。
1971年にいわゆるニクソンショックが起こりました。日本政府は、早速赤字国債を発行して、景気を下支えしようとしました。しかし、この時は一回だけというわけにはいきませんでした。日本経済は、かっての力強さを失っていました。毎年国債を発行し、低金利で市場につぎ込んだお金は、実体経済には向かわず、不動産や株式の投機に使われました。1980年代後半のバブル景気です。
バブル景気は1990年にはじけました。景気が悪化しましたが、それでもバブル景気の余韻で、税収が増えて、1991年から93年までは赤字国債を発行せずに済みました。しかし累積債務は返せませんでした。ふたたび赤字国債を発行し、低金利政策で市場にお金をつぎ込みましたが、今日まで日本経済は低成長を続けています。公的債務の合計は1,000兆円を超えました。GDPの2倍超です。
新しく発足した内閣は、バブル崩壊後の経済政策が手ぬるいものだったと考えているようです。思い切って市場にお金をつぎ込めば、再び力強い日本経済が実現すると言っています。株式市場は早速反応し、株価が上がっています。私は、そこが心配なのです。
借金で経済を成長させようという時の副作用は、バブルだけではありません。たとえば、貧富の格差拡大があります。日本は貧富の格差が少ない国として知られていました。実際には格差は増大しています。ジニ係数や、相対的貧困率といった指標をみると、日本はむしろ貧富の格差の大きい国になりつつある事がわかります。いろいろな説明が可能ですが、国が市場に回したお金が、力のある人、情報を持っている人に集中してしまう傾向にあることは否めません。
経済が停滞すると初めに影響を受けるのは、時代に適応できなくなった産業です。民主主義の下では、公債で資金を得た政府はそのような産業を保護します。それが、新しい有望な産業の発展を阻む事になります。ここ数十年、コンピューターと通信の発達により、産業構造も生活も大きく変わりました。十年前には無名だった企業が、その変化を主導しています。残念な事にその中に日本の企業はありません。政府の善意が市場をゆがめて来た結果です。
勿論、今局に当たっている人々は、先刻そんな事はご存知の上で、最後の大借金に乗り出したのだと思います。成功を心から願っています。しかし、もし失敗したら、今度こそ借金整理をしなければならないでしょう。ただ私は、つらいが、今がその時だと考えるのです。
石川恒彦