表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 反省(平成25年10月)
今年の夏は特別に暑かったので、アジサイへの自動水やり装置は付けっぱなしでした。9月に入り、今度は雨が続くと言うので、係りのおばさんに装置の元栓を閉めるように頼みました。大雨が降りました。台風も来て、庭は大荒れになりました。掃除をしていると、水やり装置から水が出てきました。おばさんが栓を止めるのを忘れていたのです。約一週間、水を無駄にしました。何故早く気が付かなかったのかと悔みました。
書院の裏は、20メートルほどの高さの崖になっています。一番上はなだらかで、途中急に険しくなり、一番下はややなだらかです。傾斜の厳しい所は自然に生えた、シイやケヤキの木があり、上段には、アジサイ、下段にはつつじが植わっています。
40年ほど前までは、出入り自由な場所でした。それが、ゴミを捨てられたり、中学生がシンナーを吸いに入ったりで、何かと不用心になりましたので、他人が入れないようにしました。すると不思議なもので、植生が変り、雑草が生い茂るようになりました。特に、つる草が昔からの木に絡み、枯らすこともありました。そこで、雑草を抜き、上の段にアジサイを植えました。一度に全部植えたわけではありません。今年は10本、次の年は15本というように、徐々に増やしていきました。アジサイは、植えた年と次の年に十分潅水すれば、あとは、放っておいても花を付けてくれました。
ところがここ4,5年様子が変りました。何年も育ち、根も十分に張っているはずの株が、夏に萎れるようになりました。夏の気温が上がったせいもあるでしょうが、主たる原因は、崖の上一帯の舗装が進み、地下水が少なくなったせいだと思います。それが証拠に、この崖の下にある小さな洞穴は何時も水がいっぱいでしたが、今では乾き切っています。
そこで、自動水やり装置を夏中使う年もあるようになりました。全体の半分ほどに点滴ホースを引いてあります。凸凹があり、広い場所ですので、5つに区画を区切り、それぞれ1日に30分ずつ水を撒くようにセットしてあります。残りの半分は、手で水を撒きます。
秋になって、今年の成績が散々だったことがわかりました。雨の日にまで水をまいたのに(!!)、枯枝が目立ちます。
そのうえ善意の人が、柵を乗り越えて、草むしりをしてくれたらしいのです。草むしりに夢中だったのでしょう、アジサイの枝は折れ、今年の苗は、すっかり踏みつけられてしまいました。
水を無駄にした自己嫌悪感から、荒れたアジサイの群れを見ていると、心に反省が浮かんできました。はたして、雑木雑草を払って、アジサイを植えたのは、正かったのだろうか。この土地に合った何か別の木を選ぼうか。単作はよくないと言うから、アジサイを間引いて、いろいろな木を植えてみようか。それとも手入れをやめて、自然が安定した植生を作るまでじっと我慢をしようか。
しかし、何もしないという選択肢は無いようです。放任すればすぐに雑草が伸びてきます。
見た目に悪いし、空き缶などをすぐ投げ込まれるようになるでしょう。道にはみ出したり折れそうになった大枝は切らねばなりません。やはり手入れは必要です。別の木を植えるのも躊躇します。折角ご近所のなじみとなったアジサイをなくすのは寂しい限りですし、次に植えた木が将来、自然あるいは人工による環境変化に適応できるか定かでありません。
当面は、柵を強化し、水やり装置を改良するぐらいしかできません。現在の水やり装置は、最初水道屋が作ったのですが、具合が悪く、その業者も別の業者もうまく直せませんでした。
農村地帯の日曜大工店に相談して、寺のもの総出で、改良工事をしたものです。傾斜地に潅水装置を設置した経験のある業者を探すのが一番かもしれません。
自然に逆らうのは大変なことです。福島の原子力発電所は、自然に逆らって失敗した大きな例です。
この池上の小さな崖の小さな花園も今のところ失敗しています。
石川恒彦