表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 反対党(平成25年1月)
今回の政権交代は、誰の目から見ても当然だったでしょう。民主党のあまりにお粗末な政治への反動からか、新政権の滑り出しは、上々の人気です。
選挙の結果でひとつ気になることがあります。民主党の惨敗で、存在感のある反対党が無くなってしまったことです。
55年体制では、自民党がずっと政権を握っていましたが、野党社会党の存在は、大きなものがありました。社会党はあまりに理想主義に流れて、ついに与党となることはできませんでした。自民党は、平和主義、弱者優先などの社会党の主張を、一定限度受け入れる事によって、国民の支持を得た上で、経済を成長させることができたので、長期政権を築く事が出来ました。
また、社会党は政界の腐敗に強い監視の目を光らせていました。国会の質疑を通じて政官界の疑惑を追及し、時に予想外の質問が飛び出すと、それは爆弾質問と言われました。
社会党の浅沼書記長が暗殺された時、時の佐藤首相は議場に立って、追悼演説を行いました。首相は全く立場も生き方も違う政治家に対して、儀礼を越える尊敬を示しました。この感情が無いとしか見えない保守政治家が、社会党の存在をいかに重く見ていたかの証左でした。
時が移り、ようやく国民が自民党の政治に飽きてきた時、社会党もまた、あまりに長い野党生活により、活力が無くなっていました。自民党が割れ、社会党が割れ、新党が乱立しました。その動きの中から民主党が結党されました。
民主党の目標はただ一つ、政権奪取でした。雑多な思想の政治家達が集まり、党の綱領を作ることも出来ず、ただ国民に快い約束をしました。それが自民党の失政に助けられて、選挙に勝ってしまいました。今顧みれば失敗はあたりまえのことでした。しばしば、民主党の3年を率いた3人の首相の資質や行動が非難されます。民主党の本質を見るなら、それはあまりに酷だと言えます。
そして、信頼感をもてる野党が無くなってしまいました。どの野党も、共産党を除けば、合意された思想と政策を持っているようには見えません。これらの寄せ集めの野党では、政府の行きすぎや失敗あるいは不正を監視する事は出来ませんし、ましてや、もしかしたら国民が政権交代を選ぶという、緊張感を与党に与える事も出来ません。
我々がいま必要としているのは、立派な与党よりも立派な反対党なのではないでしょうか。それが国会の内部から生まれるのか、外部から生まれるのか、または内外呼応してできるのかはわかりません。
現在の政府は保守政治を公称しています。保守政治はどうしても既得権益の保護に傾きがちになります。日本の現在の停滞を、社会の構造を変えることなく、金融政策や財政政策で活性化させようとしています。誰もが、新しい産業や新しい科学技術の発展が必要だと言っています。しかし、日本社会の保守的な雰囲気の中では、新しい発想はなかなか認められません。何かを始めようとして、上司や社会の拒否にあった経験を多くの人が持っています。
対抗できるのは進歩主義ではないでしょうか。国民の自由な発想や自由な活動をもっと認める政党です。少し危なっかしくとも実現が十分に可能な理想主義とでもいうのでしょうか。しかし理想の実現には痛みが伴います。痛みはしばしば弱者により強く現れます。そのことを包み隠さず話せる政党でなければなりません。たとえば、社会保障制度を持続可能なものに改革するには、一時的に給付を削減しなければならない場面も予想されます。それが長期的には弱者の利益になることを説得できる力量がある政党が望まれます。
威勢のいい政府の成立に危惧を抱いています。今年は、少し畑違いの政治について書きたいと思っています。
石川恒彦