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隠居からの手紙

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求道の旅

   日本人や中国人は、自分の宗教を問われると困ります。日本人ですと、仏教、神道、儒教の信仰をごちゃまぜにして生きています。坊さんの説教の中に、儒教や神道の話がよく出てきます。
結婚式だけはキリスト教という人も多くなりました。べつに新婚の二人が、キリスト教に改宗したわけではありません。
キリスト教の結婚式の姿にあこがれているだけです。披露宴に移ると、菩提寺の住職が主賓だということもあります。

   中国人ですと、仏教、儒教、道教の混淆です。現代ですと、それに共産主義への信仰を加えるのが公式でしょう。
鄧小平以来、共産主義とは相いれないはずの、資本主義的手法で、経済を発展させていますが、
矛盾を感じていないように見えます。複数の宗教を並行して実践して怪しまなかった伝統が影響していると思えます。

   よその地域に行くと様相が違います。たいてい一つの宗教が有力です。
複数の宗教が存在するときは、しばしば、社会は緊張します。自分の宗教を自覚し、相手の宗教を知ることは、
社会生活を円滑に進めるうえで大切な事です。

  日本人や中国人が自分の宗教を明確に答えられないのを見て、日本人や中国人は宗教心が薄いという人がいますが、それは違うと思います。
ある人がある宗派に属しているという時、それは、たいてい、家族や村や国の宗教です。
ある人が宗教への帰属が不明確なのは、家族や村や国の宗教が不明確だからです。
私たちは、たいてい、自分の属する集団の宗教の一員なのです。

   ところが現代は、情報が錯綜するようになり、また集団より個人を大切にする風潮が広まりました。
生まれた時から置かれてきた宗教的環境に飽き足らない人が増えました。
一方で無宗教を標榜する人が出れば、他方では、自分で納得できる宗教を求める人もいます。
どちらも、広大な宇宙のなかで、ちっぽけな自分の位置を探そうという意思には変わりがありません。

  自分の生まれ持った宗教的環境を出て、新たな道を探そうとするとき大切なことがあります。すぐには答えが見つからないということです。本を読み講演を聞きます。悩みが深ければ深いほど、目の前にある答えらしきものにすがってしまいます。そして失望を感じます。時にはインチキな宗教にはまってしまい、抜き差しならなくなります。

   仏教では師を大切にします。この世の真実は言葉では表せません。体得するしかありません。
万巻の経典も、読んで理解しただけでは何の足しにもなりません。 師の指導を受けて、日々の生活の中で、真実を見つけるのです。師も千差万別です。よき師を求めて、師から師へ、旅を続けることを求道の旅と言います。旅の最後に自分のかっていた宗教的環境に戻ったとしても、かっての自分とは違う自分を見つけているでしょう。

 

石川恒彦

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