表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 才能と教育(平成24年3月)
私達は、自分が何ものなのか、どんな能力があるのか、その能力を一杯に使ったのか、
何も分からぬうちに、老境に入り、死んでいきます。他人のことは、よく見えるように感じられますが、
そんなことはありません。自分すら分からぬのに、ましてや他人のことなど、というのが実際でしょう。
他人の能力を見抜くことほど難しいことはありません。
適材適所といいますが、不適材不適所の例が、世の中には一杯です。
後事を託して社長職を譲ったところ,重役の時にはあんなに役に立った男が、社長には全然向いていない。
これは駄目だと前社長が、また社長に返り咲いたなどという話は珍しくありません。
個人が判断するのには限界があると、集団で決定することのほうが多いでしょう。
この場合も、色々問題が起こります。
先日、天皇陛下が心臓手術を受けられました。執刀した天野篤教授は、世界が認める心臓手術の大家です。
ところが、医者になろうと、大学を受験したところ、三回受験に失敗し、四年目にやっと日大の医学部に入れたといいます。これなど若き日の天野先生の失敗というより、先生を落とした、大学の試験体制の方に問題があったと思われます。
スポーツの世界も同様で、鳴り物入りでプロになった選手が、期待にこたえられず、数年で去っていく場合があります。逆に、大して注目されなかった選手が、大活躍というときもあります。
マラソンの川内優輝選手は、高校時代は、関東大会レベルの青年だったそうです。
学習院大学に入って、箱根駅伝に、関東学連選抜の選手として出場しましたが、平凡な記録でした。
卒業後、埼玉県庁の職員となって、好きなマラソンを続け、福岡国際マラソンで一躍有名となりました。
今度は、いくつかの実業団から誘われましたが、意地でしょうか、断って、コーチも無しに自分のやりかたを貫いているようです。
最近、東京や大阪で、学校教育を地方政府の強い監督下におこうという動きがあります。
「文部科学省は余りに教育の現場に遠い、地方教育委員会は形骸化している。
住民に一番近い地方政府の首長こそ住民の負託にこたえられる。」圧倒的な支持を受けて首長となった政治家は、自信に満ちています。自分の教育方針により、望ましい日本人を作ろうと考えているようです。
全体主義体制下のドイツ人、軍国主義時代の日本人、解放以前の中国人、皆、画一的な教育を受けました。しかし、政府が望ましいと考えた人間を作るのには失敗しました。ただ、青春時代を不幸だったと感じている人間を作り出しただけです。
人間の能力は多様です。その多様な能力を見抜く力には限界があります。
謙虚な気持ちで、多様な方法で、後進を育てることが大切だと思います。
石川恒彦