表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 京都御所(平成23年7月)
先日、京都御所を見学しました。友人の晋山式(入寺式)で、京都に出かけたのですが、ついでに京都見物をしました。知らない土地ですので、定期観光バスはどうだろうと、広告を見ると、「京都御所特別拝観」というのがありました。御所見学は、個人でしようとすると、期間限定で、あらかじめ宮内庁に申し込まなくてはならないと聞いています。これはいいやと、バスに乗ることにしました。
とはいっても、特別期待していたわけではありません。ずいぶん前ですが、お寺の団体で、皇居を見学したことがあります。お堀を渡り、門をくぐるまでは神秘的ですが、後はだだっ広いばかりで、印象的な建物もなく、雑然とした感じでした。新宮殿も、大きいだけで、美的な刺激は受けませんでした。もちろん建物の中には入れませんでしたので、中はきっと綺麗なのだろうと想像するだけでした。
京都駅から烏丸通を北上し、丸太町通りを越えると、右手に生け垣が続きます。いくつか門があって、その一つの門から生け垣の中に入ると、御所の築地塀が見えました。駐車場でバスを降り、四列縦隊で、受付のある清所門に向います。バスガイドが手続きをしている間、少し待たされましたが、なんということは無く門をくぐり、右に折れました。右手の築地塀にそってある背の低い、コンクリートの建物群のせいか、初めの印象はいいものではありませんでした。
それが、貴人のための玄関=お車寄せ、そして左に曲がって、新お車寄せのあたりから印象が変り、承明門に到って、紫宸殿を望むと、これが日本の宮殿なのだと、妙に心が落ち着きました。門と回廊は朱塗りですが、決して派手ではなく、正面の黒ずんでいる木造の紫宸殿を引きたてています。紫宸殿の正面奥には、朱塗りの玉座が見え、前庭の白砂、宮殿の白壁、正面両脇に植えられた桜と橘が、程良く調和しています。
更に進んで左に折れると、宜陽殿、小御所、御学問所と続きます。右手には池が表れ、回遊式庭園になっています。ここでみんな記念撮影をしていました。小御所は、慶応三年十二月九日夜、王政復古を宣言する、「夜の小御所会議」が開かれた場所として有名です。
私はかって、北京の紫禁城やパリのベルサイユ宮殿などを見学したことがあります。それらは、京都御所に比べると、はるかに大きく、派手で、威圧的です。庭園も、自然を支配するのは国王だと言わんばかりに人工的だと、印象を受けました。御所は小ぶりで地味です。庭園はよく手入れが行き届いていますが、自然を支配しようと言う意志は少なく、あたかも自然という賓客を迎え入れ、お世話をしているのだという感じです。全体の調和という観点からは、京都御所は、私の見た諸外国の宮殿に比べて、はるかに優れているように思えました。短い見学時間でしたが、満足してバスに戻りました。
不満を言えば、付属建物の貧弱さです。それらは御所のたたずまいに全然調和しません。警備員の詰め所、見学者の休憩所、売店、便所、すべて美しさに欠けます。職員の服装も、もうちょっと何とかしてほしいものです。
現在の御所は、安政2年の再建です。前年の4月6日に焼失したのですが、幕府は直ちに建築に取り掛かり、安政2年11月23日に天皇を新御所に迎え入れています。この頃ペリーの二回目の来訪があり、大地震が頻繁に起こり、世情騒然と言う感じでしたが、幕府は諸大名に手伝いを命じ、速やかに復興を成就させました。幕府の力がまだ残っていたといえましょう。当時の建築技術は大したもので、3年前の嘉永5年5月に江戸城西の丸が炎上した時には、もう12月には造営が終わっています。
なお、小御所は昭和29年に焼失しましたが、復元されたのは昭和33年でした。
石川恒彦