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隠居からの手紙

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  怖かったですね。3月11日、東京の私は、二階にいて塔婆を書いていました。
あまり揺れがひどいので、筆を置き立ち上がりました。窓の外を見ると、本堂の屋根が南北に大きく揺れていました。
何もすることが出来ず、ただ、本堂が倒れないことを願っていました。瓦が落ちたら、それも大ごとだなと、何か他人ごとのようでした。

  少し治まったところで、テレビを着けますと、東北から北関東にかけての大地震であること、津波の心配があることなどが報道されていました。
固定カメラの映像が映されましたが、カメラが揺れている事はわかりますが、写っている建物がどう揺れているかわかりません。放送局の中が写されましたが、人びとは案外落ち着いているような印象を受けました。

  建物と墓地の様子を見に帽子をかぶって、外に出ました。
建物は幸い無事でしたが、墓地は、何軒かのお墓が倒れたり、石がずれたりしていました。
お墓の持ち主に連絡しなければと、寺に帰りますと、被害が拡大していました。
まだ原発に関する報道はありませんでした。臨月の娘が心配で電話した家内が、電話が通じないとあわてています。
車で10分ほどの所に住んでいますので、念のために行ってみると、誰もいません。踏切を渡りますと、行く時に止まっていた電車がまだ止まっています。町は何となく静かでした。

  家内が言うには、娘は子供の手を引いて、電車で実家に来ることになっていたそうです。
止まった電車を思い出して、私もにわかに不安になりました。長男次男にも連絡が付きません。
暗くなりかけた頃、イギリスにいる長女から電話がありました。子供はみんな無事だ、お父さんお母さんはどうと質問されました。どうやら熊本に旅行中の長男に携帯メールによる情報が集まり、それがイギリスに転送され、最後に父母の安否の確認のためにイギリスから電話があったようです。

  その夜からはテレビに、あくる朝からは新聞に情報の氾濫でした。しかし、全体の様子がいま一つ掴めない感じがしました。

  数日して、電話が通じるようになり、被災地の方と連絡が取れるようになりました。
そのうち、二人の方の話にびっくりしました。地震後数日の間、津波の事を知らなかったというのです。
電気が止まってテレビも見れず、交通が遮断されて新聞も配達されず、電話も通じないし、携帯のニュースの見方もわからなかったので、じっとしていたそうです。

  原発に関する報道が大きくなるのは少したってからでした。
政府も事の重大さを掴みかねているようで、情報の不足に何となく不安を抱きました。
娘は17日に女の赤ん坊を無事出産しました。原発が放射性物質を大気中に吐き出しているという報道が活発になっていました。

  情報があふれる社会に住んでいる私たちですが、情報は遮断されることがある、肝心な情報や関心のある情報は隠されたり見落としたりすることがあると、知りました。

  たとえば、11日に止まっていた電車の乗客のことです。彼らはいつ電車から降りたのでしょう。
線路を歩かされたのでしょうか。関心を持って新聞を見ましたが、記事に行きあたりませんでした。

  たとえば、計画停電の日程です。テレビや新聞報道ではよくわからなく、東京電力のホームページを見た人も多かったと思います。このホームページがひどいもので、素人と官僚の合作という代物でした。
あっちこっち検索してたどり着いたのが、大田区のページでした。
一見わかりにくい作りでしたが、よく読むと必要十分な情報が入っていました。
傑作なのは、大要「東電の発表と大田区のお知らせとは違っていますが、東電に問い合わせて、大田区が正しいと確認をとりました」というコメントが付いていたことです。

  それにしても、原発事故に関する報道、何か隠されていると感じませんか?

石川恒彦

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