表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 坊主頭(平成22年12月)
坊主頭と言われるように、坊さんは頭を剃っているのが普通です。お釈迦様は、弟子たちに、余計なものを持たないように指導しました。例外は、三枚の衣と、托鉢のための鉢と、頭を剃るためのかみそりでした。お釈迦さまが坊主頭を修行者たちに勧めたのは、他の宗教の修行者と区別するためであったようです。
インドに行くと多くの修行者に会います。髪を伸ばし放題にしていたり、髷を結ったり、後ろの毛だけを尻尾のように伸ばしていたり、いろいろの髪の形を見ます。さらに、顔や体にいろいろな模様をつけています。着るものも千差万別で、裸の人もいれば、ぼろとしか見えない衣をつけている人、そうかと思えば、鮮やかなサフラン色の衣を着ている人もいます。
意味のない外見上の違いもあるのでしょうが、インド人やインドをよく知っている人は、その姿を見て、どの宗派の修行者かを知るのは難しくないようです。お釈迦様は、無所有が悟りへの近道と考えられましたので、仏道の修行者は、髪もない方がいいと教えられたのでしょう。ただ、当時は、現在のように頻繁に髪を剃ったのではないようです。お釈迦様は、四カ月に一回髪を剃ったという話が伝わっています。
時代が下り、仏教が各地に伝播すると、衣の色も形も変わり、托鉢をせずに、僧院に籠る出家も出てきましたが、坊主頭は変わりませんでした。日本で、鎌倉時代に、半僧半俗と自ら称する人が出てきて、変化が生まれました。特に、明治時代になって、妻帯肉食勝手たるべしという法令が出て、髪を伸ばす人が増えてきました。宗派によっては、大部分の僧侶が髪を伸ばしているところもあります。
しかし、大方の宗派では、妻帯肉食は主流になりましたが、いまなお髪は短くしています。バリカンが導入されましたから、剃刀で剃るという人は少数派になりましたが、それでも坊主頭が坊さんの象徴です。
現在では、お寺は世襲が普通です。そうしますと、若い後継ぎの中には、お寺を継ぐのはいいが、坊主頭はやだというものが出てきました。仏教界は今、人材難ですから、師匠の中にはそれを許す人も沢山います。
先日、K市に行ってきました。S師と言う老僧が隠居して、若い僧にお寺を譲るという、交代式がありました。S師は、その社会活動が宗派を超えて知られている方でしたので、交代式が行われたお堂には入りきれない人が出るほど、盛んな式でした。心のこもった挨拶が続きました。ある中年の坊さんのあいさつを面白く感じました。
「私は、若い頃、坊主頭がいやになって、少し髪の毛を長くしました。もちろんすぐに師匠に見つかって、髪を刈るように言われました。そこで私は、師匠が常々褒めているS師が髪を伸ばしていることを指摘しました。とたんに一喝食らいました。ばかもん、Sさんは荒行を出てから、一日も欠かさず、毎朝早く、水行を続けているんだ。行が続く限り髪を刈らないのが、定法だ。おまえも髪を伸ばしたいなら、毎朝水行をしろ。」
S師をそっと見ると、柔和な顔に笑みを浮かべて、話を聞いておられました。私は、その時初めて、S師が、髪を伸ばしていることに気付きました。内面が充実しているかたの外面は気にならないのですね。しかし、我々凡僧は、坊主頭の方が、つねに自分が修行者であることを自覚出来ていいのではないかと私は考えいます。
ともあれ、S師は隠居をされても、生涯、行を続けられるのでしょう。
石川恒彦