表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 誤解(平成22年10月)
春先に、知らない人から電話がありました。父親が死んで、葬儀も済ませたので、照栄院にある墓地に埋骨したいというのです。お寺の墓地では、通常、こういう事はありません。お寺に墓地があるという事は、即ち檀家です。檀家の家のどなたかが無くなり、自分の家の墓地に葬りたいときには、葬儀はお寺に頼んで来ます。今はやりの直葬でも、事前にお寺に相談があるのが普通です。どこのお寺でも、直葬の希望があると、経済的、時間的に、檀家の負担にならない範囲で、読経の機会を持つように説得します。それを断られたという話は、聞いた事がありません。
ごく稀にあるのは、自分の家のお寺がどこか知らずに、葬儀を済ませてしまい、後で気づくという場合です。両親が不信心で、まったく、お寺の話を子供たちにしていない場合などに起ります。
今回は違いました。亡くなった父親は、たいへん熱心な日蓮宗信者で、しょっちゅうお寺に参っていました。電話を受けて、そういえば、ここ二、三ヶ月会っていないなと、自分の不明を恥じたほどです。電話の主も照栄院を知っていました。よく聞くと、自分は別の宗教の信者で、そちらで葬式をしたというのです。
亡くなった方は熱心な信者でした。埋骨は断れないと思いました。ただ、いくつかの条件を伝えました。埋骨の前に、照栄院の本堂で故人の信仰に従って追善法要をすること。それには彼(電話の主)が参列すること。多少といえどもお布施を頂くこと。今後墓参りをすること。彼は電話の向こうで沈黙していましたが、突然切られてしまいました。
全く失礼なやつだと心に軽い憤怒を覚えました。暫くすると、故人の弟が訪ねてきました。四人兄弟の末弟ということでした。まず甥の失礼を詫びました。そして、遺骨はすでに甥の信仰する教団の墓地に収められてしまったといいます。今後彼が照栄院にあるこの家の墓地を守るという事は無いので、先祖の遺骨が納められているこの墓地をどうするか、兄弟で協議した結果、次兄が責任を持つことになった。近いうちに尋ねてくる予定なので、よろしくと言います。信仰について確かめると、問題が無いようなので、承知しました。
暑い夏の間、何の音沙汰もありません。秋になると、遠くに住む、三兄から連絡があり、日にちを定めて、お寺にやってきました。なんと、次兄は九月入って亡くなっていました。遠くに住む自分には、東京にやってくるのが大変なので、先祖の遺骨を、自分の寺の墓に納めたい。宗派が違うがどうだろうと相談されました。無縁になるよりいいことなので、賛成しました。
それから甥の話になりました。小さいときは、同じ年ごろの親戚の子供たちと、よく遊ぶ活発な子供でした。ところが、彼は肺結核にかかり、親戚や友達から遊んでもらえなくなりました。その上、間もなく両親は離婚しました。彼は父親の元に残ったのですが、仕事が忙しく、養護施設に預けられることになりました。父親の家に戻ったのは、彼が高校生になってからでした。父親とはあまりうち解けなかったようです。高校を卒業すると一流会社に就職できました。そこで、信仰深い女性に出会い、彼女の感化で、今の宗教に入信しました。そして彼は彼女と結婚しました。父親が亡くなると、伝手を頼って必死で母親を探し、葬儀に間に合った母親と、涙を流して抱き合っていたそうです。別離以来、初めての対面だったそうです。
それを聞いて、私は自分の浅はかさに恥いりました。彼は同情すべき人生を送ってきました。私は電話の時、やや強い条件を付けました。彼にとっては拒否に近いものだったでしょう。本当は、もっと彼の事情を聴くべきだったのです。何かいい解決策を探せなかったのでしょうか。何年坊主をやってきたんだと、いささか嫌悪感を覚えました。
誤解は時に致命的です。
石川恒彦