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隠居からの手紙

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古橋広之進

 古橋広之進さんが亡くなりました。社会の反応が案外あっさりしているのに驚いています。「僕が総理大臣なら、遺体を受け取るために、ローマへ政府専用機を飛ばし、日大プールで国葬をやりたいぐらいだ」と、女房に話すと、女房は、「私はいやだわ、あんな選手に威張っていた人」と、にべもありません。 私と彼女は四つしか年が違いません、それでもあの感激の放送を知らないのです。

  とにかくみじめでした。町に出ると、派手な身なりの日本婦人を連れたアメリカ兵が、ジープに乗って、わがもの顔でした。先生もやくざも見て見ぬふりです。子供を見つけて、気が向くとチューインガムやチョコレートを配っていました。そうすると、路地から子供が湧いてきて、みんなでワイワイ手を差し出します。面倒になった兵隊は、ありったけのお菓子を道路に撒いて、行ってしまいます。今度は、運よくお菓子を手に入れた子を追っかけます。追っかけられた子は、自分の家に逃げ込みます。おっかないお母さんのいる家では、追っかけていた子供たちは追い払われます。やさしいお母さんのいる家では、包丁と物差しを持ってきたお母さんが等分に分けてくれます。チョコレートバーは切ると端と中間の部分に分かれます。端を食べた子は、端の方がおいしいといいます。中間を食べた子は中間の方がおいしいといいます。言い合いが始まります。しかし、端を食べた子は二人しかいません。中間の子は沢山います。端を食べた子は損をした気持ちになります。

  夜になります。廊下に戦争中から大事にしてきたラジオが据えられます。部屋の蚊帳は巻き上げられています。冬の間に乾燥させた、ミカンの皮に火が付けられます。蚊取り線香の代りです。辺りは真っ暗です。ロサンゼルスからアナグサーが呼びかけます。「日本の皆様、こちらは・・・・」。ラジオはザーザーという雑音だらけです。それが大きくなったり小さくなったりします。私は、それが太平洋の波の音だと思っていました。当時使っていた電波の特性だと知ったのはずいぶん後になってからです。 千五百メートル自由形決勝が始まります。古橋が先頭で、橋爪がそれに続きます。1000メートルを過ぎて少し経つと、アナグサーが叫びます。「あ、橋爪、水をあけました」。「おじさん、何のこと」。「橋爪の足より、三位の選手の頭が遅れたんだ」。そして、「古橋優勝、古橋優勝、つづいて橋爪、世界新記録、世界新記録」。 ラジオからは歓声が聞こえます。こちらの廊下は静かです。暗闇の中で大人たちが何を感じているのかはわかりません。あたりに特別の空気が漂い、子供心に何か大変な事が起こっているのを感じるばかりです。振り返ってみると、あの時、日本人は自信を取り戻したのです。おふくろがスイカを切ってくれます。

  これ以後もたくさんの日本人が、世界大会で優勝し、世界記録を出しました。しかし古橋のようには勝ちませんでした。日本水泳は不振と言われ続けました。誰が日本水泳連盟の会長になっても同じでした。内紛がささやかれ、最後に古橋が担ぎ出されました。この偉大な選手にだれも不満を言いませんでした。しかし、古橋に日本水泳「復活」の特別の方策があったわけではありません。古橋の頭にあるのは、猛練習と闘争心でした。それに欠ける才能を見る時、彼は我慢が出来ないようでした。

  今日、小学校を卒業すると、日本人の大部分は泳げます。これも、もう一度古橋を生もうという日本人の努力の結果だと思います。古橋は古橋を育てることはできませんでしたが、普通の子供がふつうに泳げるようにしたのです。

  古橋広之進さんは、ずば抜けた才能と努力と意志によって、日本人に自信を与えました。面白いことに自信を得た日本人は、凡庸な才能を和によって結ぶことにより、豊かな社会を作ることに成功しました。


平成21月9月
石川恒彦

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