表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 庭と子供(平成21年5月)
庭をほめられます。名園とは言えませんが、自慢できることもあります。
まず掃除が行き届いています。これは、今いる庭掃除のおじさんのおかげです。山門から墓地まで、毎日手を抜かずに掃除してくれます。枯れ枝を取り除き、雑草を抜き、芝を刈り、水をやってくれます。年に三回は、専門の草取り班を雇います。仕事に誇りを持っていて、他人より高い日当をとりますが、それだけの価値があります。もちろん植木屋も入ります。親子で仕事をしていて、年間百日は仕事に入っています。
花も自慢です。山桜の大木から、群生するヘレボラスまで、一年中何か花が咲いています。しだれ桜が一番の人気でしょうか。柿、銀杏、栗など、果物も採れます。
庭石も自慢です。都会の庭は年々狭くなっています。庭をつぶして、敷地いっぱいに家や高層住宅を建てることが多くなりました。樹木は切り倒してしまうのでしょうが、庭石はそうはいきません。そうすると、お寺でもらってくれと、頼まれます。運んでくれればいいのですが、お寺で運び賃を出すこともしばしばです。根が好きですから、ついもらってしまい、いつのまにやら、石が増えました。なかには素晴らしい石があります。
池の錦鯉に、高価なものはいませんが、素人目には十分鑑賞に堪えます。出入りの鯉屋さんが、良心的に納めてくれます。しかし名園ではありません。
まず、古木がありません。戦後しばらくまでは、古い木がありましたが、大気汚染で枯れました。その上、河川の付け替え工事があって庭の形が変わり、建物の増改築のために庭の模様替え、何度も移植をくりかえして、木をだめにしました。本堂前のキャラボクと這い松が古いといえますが、どういうわけか、キャラボクの中心が枯れてきました。
さらに、全体の結構に統一性がありません。これは、庭の模様替えのたびに、住職と植木屋の親方との意見が対立して、妥協の産物を、生み続けているからです。木が成長し、石が苔むせば、少しは良くなると期待しています。
池のある裏庭以外は公開しています。みんなに見てもらいたいのですが、悩みがあります。庭が痛むのです。通路以外を歩いたり、花をむしったり、枝を折ったり、犬に糞をさせたり、信じられないことが起こります。
特に困るのが子供です。遊びに夢中になると、何をするかわかりません。約束さえ守れれば、寺の庭で遊ぶ子供は大歓迎なのですが、庭で大歓声が上がると、つい心配になって、表に出ます。たいてい、何か注意することになります。いっそう、庭を自然のままにしておこうかと思うときもあります。
庭が荒れるのも嫌ですが、怪我がもっと心配です。高い木や石に上っている子供を見て、そのままにしておき、万一怪我でもしたら大変だそうです。私の子供のころは、山門の屋根から落ちて怪我をすると、落ちた子が怒られました。今は、管理不行き届きの住職が怒られ、下手をすると賠償を請求されるといいます。
緑の少ない都会ですので、もう少し寛容になって、少々のことには目をつぶらなければならないのでしょう。しかし、緑の少ない都会だからこそ、もう少し庭を大事にしてほしいのです。
庭を大切にする気持ちがあれば、木登りくらいはかまいません。そして、庭で遊ぶ百人の子供のうち一人くらいは、木から落ち、木から落ちた百人の子供のうち、一人は大怪我、それぐらいの冒険心が子供には必要だと、みんなが思ってくれればいいのですが。無理でしょうね。
平成21月5月
石川恒彦