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隠居からの手紙

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自信

朝、新聞を読みながら、ちらっとテレビを見ると、外国語を話す男の画面が見えました。何だろうと、字幕を見ると、中国の映画監督のようで、テレビに出るのですから、評判の人なのでしょう。田舎から都会に出てきた中国人の苦労をミュージカル仕立てにしたようです。

テレビの音はうんと絞ってありましたので、声はほとんど聞こえません。何か質問に答えて、男が答えた字幕に興味を持ちました。全然正確ではありませんが大略次のように書かれていました。

  「アメリカのミュージカルは長い伝統があって、音楽的にも映像的にも、様式が定まってしまっている。中国にはそういう伝統がないから、自由にミュージカル映画を作ることができる。」
  なんという自信でしょう。何かを創造しようという時、伝統を欠くことや様式を知らない事を有利と考えることは少ないと思います。中国という、今盛んに勃興している国の一員であることが、この発言をさせたのだと感じさせました。

自信とは何なのでしょう。集団の自信、個人の自信、普段の自信、非常時の自信、それぞれ違っているようにも見えます。
自信には相互作用があるようです。団体競技などで、だれかが傑出した成績を残すと、仲間の選手も伸び伸びと好成績を示します。逆に、エースと目される人が失敗すると、それにつられて、皆、普段の成績を残せない時もあります。国や社会も同じなのでしょう。

  勝ち組にいても、全員が自信に満ちているわけではありませんし、負け組にいても全員が自信喪失でもありません。個人はその才能、鍛錬、気質、そして運と環境で、自信が持てたり持てなかったりします。中にはなんの裏付けもないのに、自信だけはたっぷりという人もいます。たいていは、いつかひどい目にあいます。
よく、実績のある運動選手が、急に自信を失い、何をしてもダメになる時があります。迷いに迷い、深みにはまってしまうと抜けだすのは大変なようです。また、一所懸命に勉強して、模擬試験にはいい成績を採るのに、本番では、脂汗が出て、頭が真っ白になり失敗した、という話もよく聞きます。緊張から急に自信を失うのでしょう。逆に、適度な緊張は、良い成績のもとだという人もいます。
若い頃、演説の名人と言われた人の仏壇にお参りをした事があります。仏壇に不似合いなテープレコーダーが飾ってありました。お経の後、未亡人にその事を聞くと、彼女は少し笑みを浮かべながら話してくれました。
「あれは主人の分身でした。お話を頼まれると、原稿を作り、必ず大きな声でテープに吹き込んでいました。再生して、気に入らないところがあると原稿に手を入れ、また吹き込みました。納得するまでやっていました。小さな会合で、お話なんか頼まれていなくとも、万が一といって、テープで練習してから出かけました。」
「それでは、本番では原稿無しで話されたのでしょうか?」

「いえ、必ず詳しいメモを作って持って行きました。あの人は、体も大きいし、声も大きいので、豪胆な人だとみんなに思われていましたが、案外気が小さいところがあったんですよ。」
人間の脳は人が考えているほどには機能的にできていません。そこに詰まっている記憶も智慧も、いつでも必ず使えるものではないようです。だれでも、森でヘビに遭遇したり、暗やみでうしろから声をかけられれば、心拍数も、呼吸数も上がると言われます。その瞬間はだれでも普段の自信を失います。
もっと自信を持って生きたいというのは普通の人間の願いです。ところが、自信に満ちていると見える人も案外それほどではなく、どんなに自信があっても、時と場合にそれを失います。絶対の自信など無いようです。そう考えれば私たちも、もう少し自信を持てるかもしれません。

平成21月11月
石川恒彦

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