表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 将軍と責任(平成20年12月)
「平和憲法でがんじがらめに手足を縛られ、核は議論することさえ許されない。予算は削られっ放しで、武器調達さえままならぬ。その上、言論の自由まで奪われるのか。政治家も国民も、もっと真剣に国防を考えてほしい。」
懸賞論文に当選したところ、その内容に問題があると議論を呼び、円満退職した田母神俊雄前航空幕僚長の手記を載せた、ウィルという雑誌の広告文です。これが田母神手記の要約のようです。
日本が困難な戦争に敗れた後、日本国民にはもうふたたび戦争をしたくないという気分がみなぎっていました。一方、戦いに勝った連合国、ことにアメリカも、日本と再び戦いたくないと考えました。そこで生まれたのが日本国憲法です。日本は、憲法前文にいう、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」し、9条の戦争放棄となりました。これは賭けでした。諸国民の公正と信義はそんなに信頼できるものではありません。そこで日本は保険をかけました。それが講和条約と同時に結ばれた、日米安保条約でした。
この体制はうまくいきました。日本は軍事費の負担を免れて、歴史に残る高度経済成長を成し遂げました。もうひとつ大事なのは、日本が平和希求国家だというメッセージを世界に発信できたことです。今日世界の国のなかで、日本の侵略を恐れて、真剣に国防体制を整えている国はあるでしょうか。おそらく皆無でしょう。それは、日本を先制攻撃する動機を無くしています。だいたい、第二次大戦以後、自衛のための戦争以外、うまくいったためしはありません。
それでも、この体制は賭けです。将来、日本を侵略しよう、あるいは自国の利益を対日軍事行動によって得ようという国が出てこないとは限りません。その時、平和憲法の前提である、平和を愛する諸国民の公正と信義は破れ、9条は自動的に無効となると考えます。自衛隊は正規の軍隊となり、戦います。おそらくその時点では、日本は壊滅的な被害を受けているでしょう。自衛隊も近代軍としての機能を保持できないかもしれません。それでも、日本は白旗を上げないでしょう。日本国民は自衛隊とともにたたかうでしょう。日本には硫黄島の、沖縄の伝統があります。侵略者は、ベトナムにおけるアメリカ軍、アフガニスタンにおけるソ連軍のようになるでしょう。
それまでは、自衛隊は陰の存在です。他国に脅威を与えないことが第一です。核はご法度です。予算は不足し、完全な装備からは程遠いいでしょう。それでも、自衛隊は、侵略に対して断固戦うという日本国民の決意の象徴です。いざとなったら必死で戦う統制のとれた戦争機関があることが、最大の戦争抑止力になります。
陰の存在としての自衛隊の意義を知り、あえて、国防に尽くそうという気概が、士官には求められます。いやしくも、統制を乱すような発言は慎むべきです。軍人、ことに将軍の地位にある人は、自分が大戦略の一部であることを自覚しなければいけません。その自覚にしたがって生きるなら、言論の不自由を感じることはありません。
石川恒彦