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隠居からの手紙

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堺事件

先日、大阪堺の妙国寺にお参りしました。そこで、明治元年(=慶応4年、1868)にあった、堺事件を知りました。

この年、鳥羽伏見の戦いに徳川方が敗れたので、堺の町を支配する幕府の役人がいなくなり、朝廷は土佐藩に警護を命じました。2月15日、フランスの軍艦デュプレー号が堺に来航、はしけを下して港内を測量、水兵が上陸しました。土佐藩士は、これを阻止しようとしましたが、言葉が通じず、戦いとなって、フランス側に、死者11名を含む、十数名の死傷者が出ました。

出来たばかりの明治新政府は、攘夷から和親に転換したばかりでしたから慌てました。フランス公使の無理な要求をほぼ全部受け入れることにしました。要求は5カ条あり、15万ドルの賠償金、隊長以下全隊員の処刑などが含まれていました。さすがに60余名の処刑はためらわれました。政府は鋭意交渉しましたが、ようよう20名に減員してもらうのが精一杯でした。

刑は切腹ということになり、妙国寺で1月23日の午後、執り行われました。11人目の切腹が行われ後、デュプレー号の艦長が座を立ち、以下の切腹は中止となりました。
フランスの要求はいかにも横暴で、強欲なものでした。それでも当時の内外の情勢は、それを受け入れる以外に選択肢はありませんでした。土佐藩と堺市民は、非業の死を遂げた人々を門前の宝珠院に厚く葬り、妙国寺には事跡を記した碑を立てました。

のちに、森鴎外は「堺事件」という小説を書きました。土佐藩士への同情と尊敬にあふれています。また、「ハラキリ」が世界に知られるようになったのはこの事件によるといわれます。

こういう話を聞くと、140年も昔のことなのに、心が穏やかというわけにはいきません。そこで思ったのは、なるほど、日本の侵略を受けた国の人々は、同様な経験、いやもっとひどい経験をして、それは語り継がれているに違いないということでした。それらは堺事件よりはるかに新しい事件です。日本人の何気ない一言が、彼らに屈辱の歴史を思い出させるのは、当たり前のことだと、胸に納得しました。
今年は日仏修交150年に当たるそうです。

平成20月10月
石川恒彦

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