表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 親の権利(令和4年10月)
子をなした二人が分かれるとき、どちらが子供の面倒を見るか争われることがあります。親権の争いです。不正確な言葉です。親権は子供の面倒を見る権利というより、子供の面倒を見る義務の比重が大きいからです。
そもそも、親の権利というものはなきに等しいと思います。基本的には、二人の親が協力して子供を育てるのが大切です。それが親の都合で二人が別れて、どちらかの親がこどもをそだてることになったとき、もうひとりの親に養育の義務が亡くなったわけではありません。子供が成人に達するまで、養育費を負担し、定期的に面会する義務があります。こどものめんどうをみることになった親が、もうひとりの親の面会を断ることがあるようですが、子供のためによくないと思います。また養育費を払わなくなる親も多いようですが、警察力や、裁判を通じて、必ず負担させることが大切です。現状は、義務のある片親が、養育費を払わないため、父子家庭や母子家庭の困窮が生まれています。
アメリカでは、堕胎が許されるか許されないかが大きな問題になっています。キリスト教国アメリカでは、聖書に従って、堕胎は絶対に許されないという勢力が有力です。それにたいして、女性が自分の体をどうするのかは女性に権利があるといって堕胎を正当化しようという勢力もあります。従来女性の権利派が裁判で勝っていましたが、トランプ氏が保守的な裁判官を次々に任命した結果、最高裁は聖書派に軍配をあげました。堕胎は罪となったのです。アメリカは州によって法律が違いますが、厳しい州では凌辱されて妊娠した子供も堕胎できなくなりました。
仏教ではどうでしょう。私は胎児について記述した経典に注意したことがありません。しかし私の師匠は、はっきり受胎の瞬間に生命が生まれているといっていました。私より明らかに経典に通じていた師匠の言葉に私も同意しています。生命は摩訶不思議です。受胎した瞬間にあの小さな卵にはどんなおとなに成長するかの情報が詰まっているのです。30才の大人になったとき,髪がふさふさか禿げているかもう決まっているのです。
幸いなことに、わたくしたちは、与えられた肉体を鍛えることができます。訓練すれば筋肉ムキムキな肉体をつくれるし、勉強すれば多くの知識を得ることができます。
そのような生命体を殺すのは正しいことには思えません。私は堕胎を全く認めないわけではありません、凌辱されてできた子供は生まれても幸せの人生が期待できません、あるいは病気により母子ともに生命の危機に陥いり、どちらかは助けられると解ったときどう選択するのでしょう。たいていは母親を助けるでしょう。堕胎は権利ではなく、緊急避難とするのが正しいと思います。妊娠した女性はその子を産む義務があります。そしてその父親はそれを助ける義務があります。
生まれた赤ん坊はなんと可愛いものでしょう。その成長を見るのは本当にうれしいものです。そこで赤ん坊を見る権利といわれるようになったのでしょう。実際には子供がすくすく育つよう親の努力は大変です。権利などではありません。
私は親権という紛らわしい名称に疑問を持っています。
石川恒彦