表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 昭和のオッサン(令和4年7月)
弟と妹が来た時、お茶が飲みたくなり、妹に頼みました。私にとってそれは、ごく自然でしたが、よく考えると、なぜ弟に頼まかったのか、もっといえば、なぜ自分で淹れなかったのか、不思議です。
男女平等は知っています。長幼の序というのも時代遅れだといいます。でも何気なく、昭和の流儀で生活しています。そういう男をオッサンと呼ぶようです。私は、典型的な、昭和のオッサンと自覚しています。
佐藤千矢子「オッサンの壁」を読みました。毎日新聞の論説委員や政治部長を務めた著者の、永田町のオッサンにまつわる、経験と見聞が書かれています。議員や議員秘書それに官僚によるセクハラはひどいものです。こんな程度の低い連中に日本は統治されていると考えると嫌になります。
しかしこの本の主題は、能力と意欲のある女性の働きにくさです。女性記者が男性に取材しようとすると、相手からしばしば無視、軽蔑されるといいます。経歴を積んである程度の地位に付けば、そういうことは無くなりますが、周知のことですが、その昇進が、女性にはそもそも難しいのです。
それを著者は「オッサンの壁」と呼びます。男性であるこという既得権の壁を作って、女性の侵入を阻んでいるのです。著者のような稀な女性は、その壁を飛び越えられましたが、大多数の女性は、壁の前で泣いているわけです。著者は、壁は乗り越えるものでなく、みんなで壊すものだと主張します。
言うは易く、行うは難く、勇ましいことを言っているだけでは、壁は無くなりません。そこで、職種に応じて、一定の割合で、女性を雇用あるいは任命するように定めるべきだという提案が出てきました。男性側からは、それは逆差別だという声があります。佐藤さんの友人は、男性は男性であるという下駄をはいているのだから、女性にそういう下駄をはかせるのは当たり前だと主張しているそうです。
女性には、生理や出産という重荷があります。働く女性は、そういう時、仕事を休むと同僚にしわ寄せが行きます。どうしても仕事を休むのが心の負担になります。そこで、代わって仕事をしてくれる人に、金銭的な補償ができる仕組みを作ってはという提案が別の友人からあったそうです。
そこで面白いと思ったのは、カトリーン・マルサル「アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?」です。自由主義経済の元祖ともいえるスミスは、生涯独身で、母親に食事を作ってもらっていたらしいのです。しかし、スミスの経済理論、また後世の経済理論にも、そういう家庭内の労働の価値は、完全に無視されています。女性にしかできない、出産がもたらす社会への貢献も無視されています。
彼女は言います。「私たちの社会は、そうした女性の貢献に報いるような社会保障や税制や年金制度を持ち合わせない」
昭和のオッサンは降参するばかりです。
石川恒彦