表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 痛み(令和4年3月)
日曜の朝でした。起きると腰に違和感がありました。大したことはないと思っていると、徐々に痛みが増してきました。たまたま訪ねてきた次男に話しますと、「ぎっくり腰なら、もっと激しい痛みだ、なんか内蔵の病気じゃない」と、脅かされました。それでもその日は無事に過ぎました。
あくる日になると、痛みは激しくなりました。居間の堅いソファに横になると起きられなくなりました。隣に住む長男が手を引っ張ってくれましたが、かえって傷みが激しくなり、途中でやめてもらいました。ゆっくり時間をかけて、恐る恐る立ち上がりました。
火曜日には、もう我慢ができなくなりました。長男の嫁の車で、整形外科に行きました。早速レントゲンです。固いレントゲン台で仰向けに寝るのは地獄でした。看護師は全然同情しません。次に医師が入ってきて、向こう向きになれといいます。痛くて痛くて体位を変えられません。
すると医師は私の背中と腰をグイっと押して、体を反転させました。思わず「痛い!」と悲鳴をあげました。医師も全然同情しません。撮影が終わると向こうに行ってしまいました。台から降りるのが大変でした。まず、仰向けに戻り、次に反対側から台を降ります。姿勢を変えるたびに激痛が走りました。今度は、さすがに看護師も同情的で、いろいろ手伝ってくれましたが、痛みがなくなるわけではありませんでした。
診断の結果は、年のせいで、背骨の骨と骨の間が狭くなり、神経に触っているとのことでした。痛み止めの注射を打ってもらい、腰に熱を当てるリハビリをしたあと、処方された飲み薬と湿布を隣の薬局で買って家に帰りました。
あくる日は祭日でしたので、木曜日にまた医院に行きました。注射のあとリハビリです。終わって、なんとなく背中を触ると、注射のあとがポッコリ膨らんでいます。慌てて医師に見せると、「なんでもない、内出血です」といわれ、なんとなく複雑な気持ちでした。
今日は日曜日、一週間たちました。痛くなったり治まったり、波はありますが、痛みの程度は増しています。今この原稿を書くのも、かなりの苦しみです。困るのは痛みは、はたから見てわからないことです。椅子に座ってじっと痛みに耐えているとき、電話が鳴ると、出て頂戴などと怒鳴られます。
わからないのは、他人の体の痛みばかりではありません。心の痛みはもっとわかりません。いじめなどというのはその最たるものでしょう。いじめている人は、いじめられている人がどんなに苦しんでいるかわからないようです。
いじめとはいかなくても、ちょっとした言葉が他人を傷つけることがあります。私の友人の住職が、会合があって、大変尊敬している先輩の送り迎えをしました。帰りに、「先輩、私の寺によってお茶でも飲んでいってください」というと、「ボロ寺には用はないよ」と、言われました。
たしかに彼の寺は台風にやられて、庫裏はボロボロでした。再建しようと、寄付を集めているところでした。この先輩もなにがしかの寄付をしていました。先輩は、大変だから遠慮しとくよというところを、冗談で言ったつもりだったのでしょう。しかし、この住職は大変傷つき、私は電話で長いこと、恨みごとを聞く羽目になりました。
石川恒彦