表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 合掌(令和3年6月)
最近テレビを見ていて、目につくのは、外国の首脳同士が挨拶するとき、肘を互いにくっつけあっている光景です。新型コロナウイルスの流行で、握手をして、万が一相手にウイルスを移すことのないようにという用心のようです。
しかし、この光景は、どことなくぎこちないものがあります。慣れていないということもあるのでしょうが、背の高さの違う二人が肘をつけあう姿は、あまり格好いいものではありません。日本の外相が、外国の背の高い相手と肘をつつきあった場面を見ましたが、どことなく滑稽でした。
この際、お辞儀や合掌を取り入れたらいいのにと思いますが、その気(け)はありません。多くの文明で、身体的接触が、友情を示す大切な要素になっているようです。むくつけき男同士が抱擁する挨拶場面をテレビでよく見ます。そういう国から日本に来た人は、日本の満員電車は耐えられないといいます。親しみを感じない、赤の他人と身体が接触するのは不愉快なのでしょう。したがって、身体が接触しないお辞儀や合掌は、挨拶として不十分なのかもしれません。
政治家や芸能人、あるいはプロスポーツ選手は、やたらに握手をします。身体の接触が親しみを増し、人気を得るには必須と思われているのでしょう。握手することによって、両者はつかの間の対等な気持ちになれるのでしょう。つまり裏を返せば、普段の生活では、握手する相手を選んでいるのではないでしょうか。名前も忘れた昔の映画で、労働者と握手しまくった経営者が、終わると密かに手袋を取り換えている場面がありました。
握手や抱擁の伝統のない人間が、そういう社会に入り込むのは、結構、大変です。外国での会合で、重要なお客が帰ることになり、みんなに抱擁していました。私の番になったとき、しょうがないので、彼女の腰に手をまわしてあいさつしました。これはマナー違反でした。私はもっと手をあげて、彼女の肩を抱かねばいけなかったようです。主催者のおばさんに怒られました。
体を接触しないお辞儀や合掌は、応用範囲が広いようです。神や仏に祈るときも、朋輩とあいさつするときも使えます。ただ、お辞儀は、時と場合、相手との距離によって、細かい気遣いが必要です。また、お辞儀には、相手にへりくだるいじけた気持ちが込められる時があります。不祥事を起こした大会社の社長が、報道陣の前で、深く頭を下げるときがあります。伝聞によれば、彼らは、社長に就任すると、コンサルタントから、頭の下げ方をまず伝授してもらうそうです。
その点、合掌には、もっと相互の敬愛が込められているように思えます。仏様の前で合掌すれば、仏様もまた、手を合わせてくれていると教えられます。
もちろん、合掌の本場、インドでの実践を見れば、何か相手から利益を引き出そうと、一所懸命、合掌している場面もあります。ただ、基本は、相互敬愛です。
もっとも、感染予防に、合掌が役に立つとは、断言できません。現在、インドはコロナウイルスの大流行で、やがて、アメリカを超すだろうといわれています。
石川恒彦