表紙 > 隠居からの手紙 > バックナンバーもくじ > 停滞感(令和3年4月)
大相撲春場所で、照ノ富士が優勝しました。一度、大関を陥落して、序二段まで下がり、そこから這い上がり、来場所での大関復帰を確実なものにしました。その気力と努力は称賛に値します。
しかし、大相撲を全体として見るとき、停滞感が否めません。休場を続ける横綱、ばたばた負ける大関、報道される不祥事、フアンの気を滅入らせます。照ノ富士とて、あの両膝の痛々しいサポーターは、大横綱を予想させず、わたくしたちが高揚感を持つには至りません。
オリンピックの聖火リレーが始まりました。沿道には、沢山の人出です。それでも、走る人も、応援する人も、それを組織する人も、一抹の不安を抱えているのではないでしょうか。オリンピックは、本当に開催されるのだろうかと。
日本は第二次世界大戦と同じ轍を踏もうとしているという人がいます。大本営は、戦争のごく初期に、勝利はおぼつかないと判断していたといわれます。ところが、どこかの戦場での大勝利という僥倖にすがって、決断を先延ばしにしたのです。もし、早く不名誉を受け入れていれば、ガダルカナルも、沖縄も、広島も、長崎もなかったと思えます。
組織委員会は、ある日突然にこの世からコロナウイルスが消えてなくなると思っているのでしょうか。ワクチン接種が進む富裕国では、それが可能かもしれません。しかし、ワクチンの恩恵が期待できない貧困国では、当分流行が続くというのが、悲しい現実でしょう。
オリンピックの精神から言って、それらの国から、選手の参加を拒否することは難しいと思えます。そうなれば、今度は、感染を恐れる富裕国の選手が参加を辞退することも考えられます。オリンピック精神の目指す形での開催は不可能です。
決断しない組織委員会の態度に、わたくしたちは停滞感を抱くのです。
停滞感は、バブル崩壊後、ずっと続いています。新型コロナウイルスの流行初期に、経済再生相を対策の責任者にしたとき、国は、そこに商機を見出したのだと理解しました。つまり、検査試薬の開発、ワクチンの開発、治療薬の開発に国費をつぎ込んで、経済の起爆剤にしようとしているのだなと。
期待は裏切られました。たしかにお金は使われました。しかし、海外諸国に比べて、桁違いに少ない額だったといわれます。力を入れたことといえば、経済を崩壊させないように、小出しの予防措置を取ったことです。まるで、大本営の戦術です。
停滞感は、将来に希望が持てない時に感じられます。相撲協会も、オリンピック組織委員会も政府も、事態を改善しようという意欲に欠けています。いや、意欲はあっても、やってきたことに拘泥して、戦術を変えようという精神に欠けているのではないでしょうか。
戦前、双葉山が連勝を重ねているとき。出羽の海一門は、打倒双葉山を合言葉に猛げいこを重ね、取り口を研究して、ついにのちの横綱安芸之海が、双葉山の70連勝を阻止しました。それが、戦後の相撲隆盛に結び付いたのです。
わたくしたちは、あまりに保守的になっています。新しい考え方、新しいやり方を取り入れ、わたくしたちは変わるのだという、希望こそが停滞感を破るのだと思います。
石川恒彦